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いま拠って立つべき“日本の精神” 武士道

いま拠って立つべき“日本の精神” 武士道

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明治初期に英語で「武士道」を説明している。「分からないことは不気味」と思われる欧州各国への影響は絶大だったのだろう。

要約

  • 武士道とは

成文化されているわけではないが、封建制度下の武士の行動規範となっていた。仏教が制に執着せず心を平静に保つことを教え、神道が自然崇拝が国土と皇室への崇拝へと繋がり、孔子の教えが道徳的規範となった。

単なる知識は重要ではなく、行動を伴う「知行合一」が重視された。

「義」 は正義の感覚。「死すべきときには死に、討つべきときには討つこと」

「義」を実際になすこと。 武家の男子は幼少期から勇猛果敢であるよう育てられてきた。

「仁」は愛や寛容、他者への情愛など人の持つ徳である。民を治める者には必須であるとされてきた。「徳」と「絶対的権力」は必ずしも二律背反する者ではないと考えられてきた。

「礼」は仁義を型として示す。 優美な立ち振る舞いが内面も高めるという考え方は茶道などにもつながっている。

結局は正直が得だから正直でいるのではない。「名誉」に恥じないことが「誠」

  • 名誉

武士は人間の尊厳として「名誉」に重きを置いた。名誉を守るためには「一命を捨てる覚悟」を持っていた。

  • 忠義

中国では公私の道徳が親子の関係を第一義としたのに対し、日本では主君に対する「忠義」が第一に置かれた。「武士道」は個人よりも公を重んじる。

  • 武士の教育

知識や思考などの知的能力よりも「品格」が重んぜられた。 武術、書道、文学、歴史などが中心となった。数学は敢えて外され富を蓄積することは「卑しい」と捉えられていた。

  • 克己

禁欲的で喜怒哀楽を表情に表さないことが美徳とされた。

  • 切腹/敵討ち

腹に精神が宿ると考えられ、精神の潔白を証明するため腹を開いて見せた。切腹は名誉の感覚と密接に結びついている。

敵討ちは法治が徹底しない社会での抑制力としては日本以外でも広く見らる。

刀は武士にとって魂と武勇の象徴だった。 幼いことから帯刀し慣れ親しんできたが、究極的には刀を使わない平和を理想としていた。

  • 武家の女性

武家の女性も身を守るための武芸を身に付けた。夫や息子のために献身を求められた。農家や商人の家では同時期でも男女の差別は比較的少なかった。

  • 武士道から「大和魂」へ

「武士道」はそもそも支配階級の武士に求められた徳目だったが、日本全体の理想の姿になっていった。

感想・考察

軍事政権である「幕府」が軍人である武士を統治するため、儒教や仏教、神道の思想を取り入れながら美化していったのが「武士道」なのだろう。

儒教の「孝」の考えを主君への「忠義」に拡張したり、仏教の「執着しない」考えを命を捨てる潔さに繋げたりする意図が見て取れる。またコントロールのために「名誉と恥」が至る所に組み込まれている。

一方で、「武士道」特に「名誉と恥」の感覚が為政者自身の行動規範ともなっていったのは面白い。成文化されないながらも、実質的には「立憲制」的な実効力をもっていたのではないだろうか。明治初期までの政財界には自制の効いた品格のある人が多くいたように思える。

現代に生きる私にとって特に違和感を感じるのは「忠義」の感覚だ。「主君のために、自分の息子を身代わりとして殺す」ことが美談とは感じられない。忠臣蔵も正直ピンとこない。

「大切な者のための自己犠牲」には共感できる部分もあるが、その対象が「組織の上役」というのはしっくりこない。現代日本でも「会社のための自己犠牲」という感覚は残っているとは思うが、そのために「自分の子供を差し出す」という優先順位にはならない。

言い換えると、「無私で何かのために尽くすことが気品の高い行為だと感じる感性は残っているけれど、尽くす対象の”何か”は時代とともに変わる」ということなのだろう

もっとも、旧約聖書でもアブラハムが神の要求に応じて息子のイサクを犠牲にしたように、「大切なもののために犠牲を払う」こと自体は古今東西に広がる、もっと広い感性なのかもしれない。

日本から「武士」が消えてから百数十年経ち、文化的な国境が消えかけているが「武士道」の一部は普遍的な価値となり更に生き残るのかもしれないと思う。

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