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ある男

ある男

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「愛とは何か」「家族とは何か」「人間にとって過去とはどんな意味を持つのか」

ヘビー級の物語でした。

あらすじ

里枝は、幼い息子の病死を機に夫と離婚し、宮崎県S市に戻り実家の文房具屋で働く。そこで出会った谷口大祐と結婚し子供も授かったが、大祐も事故で早逝してしまう。

大祐は父親への生体肝移植に関して実家との関係が悪化し、母・兄と縁を切ってS市に出てきていた。

里枝は大祐の死を彼の実家に連絡し大祐の兄が訪れてきたが、遺影を見た彼は「この男は大祐ではない」と言う。

里枝はかつて世話になった弁護士の城戸を頼り「自分の夫が何者だったのか」を知ろうとする。

城戸は、谷口大祐と名乗っていた「ある男X」の正体を追い、やがて、ある戸籍ブローカーの話から彼の正体にたどり着き、その人生を追体験していくことになる。

感想・考察

「家族とは」「人にとって過去とは」といった人間や人間関係の問題や「日本の右傾化と在日朝鮮人」や「死刑制度の是非」といった政治問題まで幅広い問題提起がなされている。

そして、人は個々の属性で断片的に語れるものではなくその複雑な全体で初めて一つの人格となるのだ、という作者の捉え方を提示している。

谷口大祐を名乗っていた「ある男X」は、殺人犯の息子であるという過去から逃れるため別人の戸籍を手に入れたが、単に名前を変えるだけで目的は果たされるのに、相手の過去まで丸ごと取り込もうとした。

そして新たな人格として里枝との暮らしを始めた。自分を変えるのであれば名前という記号だけではなく、全てをひっくるめて変わらなければならないと考えていたのだろう。

里枝は「ある男X」に騙されたのかもしれないが、最後には彼の生き方を知り、彼が里枝や子供達に残したものを思い彼の名前や過去といった属性を超えて、彼の全人格への愛を確かなものとする。

彼とは血の繋がらない息子が作った俳句は物語の中で特に印象的だ。

「蛻(ぬけがら)にいかに響くか蝉の声」

属性としての「脱け殻」ではなくそこに響く「蝉の声」を聞こうとしている。父の全人格からの「魂の声」を感じていたのだろう。

また主人公の城戸は日本に帰化した在日三世で、東日本大震災後からの嫌韓ムードに苦しんでいた。また、息子との生活にこの上ない幸せを感じながら妻との間には、溝が広がっていることも感じていた。

「ある男X」の人生を追うことで閉塞感のある日常から逃避しているところもあったが「ある男X」や、調査の過程で関わった人たちの人生に触れ、複雑な世界を丸ごと受け入れ生きようという想いに至ることができたのだと思う。

重量級の一冊だった。

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