『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』 飲茶
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東洋の哲学は「体験を伴う自発的な理解」が必要。
要約
- 東洋哲学とは
西洋哲学は真理というゴールを目指し階段状に進歩してきた。
一方で東洋哲学は「ゴールした」状態から始まる。ゴールに達した人から人々に広まっていく段階で解釈が分かれピラミッド状に広がっていく。
また東洋哲学は言葉で理解させることを諦めていて、本を読んだり話を聞くだけでゴールにたどり着けるとは考えていない。
インド哲学 悟りの真理
- ヤージュニャヴァルキヤ
紀元前600年頃のインドの哲学者。
当時インドでは「ウパニシャッド」と呼ばれる独自の哲学が広がっていた。西洋哲学が人間の外側にある「真理」を求めたのに対し、東洋では内側の「自己」について考えた。
ヤージュニャヴァルキヤは「梵我一如」を唱え「世界を成り立たせている原理(梵=ブラフマン)と個人を成り立たせている原理(我=アートマン)は同一のもの」だとした。
彼は妻に対し「アートマンは不滅で本正常破壊されない。『〜に非ず』という否定でしか表現できない。アートマンは認識するものなので認識することはできない」と話し、これがウパニシャッド哲学の神髄を示すものと言われる。
彼は「私」の本質を身体でも精神活動でもなく「認識することそのもの、クオリア」と捉えていた。
「認識される対象としての私」は「認識する主体である私」とは別のものであり、踊り子を眺める観客の様なものであると例えられる。どれだけ不幸で絶望的な状況であろうと、逆にどれほど幸福な状況であろうと「認識する主体である私」に影響を及ぼすことはできない。
- 釈迦
釈迦の生まれた紀元前5世紀ごろのインドではウパニシャッド哲学が広がり、ヤージュニャヴァルキヤの「梵我一如」の考えが影響を与えていた。「認識する私」は何ものにも影響されないことを体感し理解するための修行として「苦行」が広がっていた。
釈迦も苦行に勤しんだが、苦行から悟りに至ることはできず、むしろ「苦行の達成が自意識に繋がり、かえって悟りを阻害している」と考えるようになった。
その後菩提樹のもと静かに座り瞑想していた釈迦は、無我の境地にいたり悟りを得た。釈迦自身は自分の弟子に「四諦と八正道」を語った。
そして釈迦は、ヤージュニャヴァルキヤが「ブラフマン(梵)とアートマン(我)の同一性」を説いたのに反し「我は存在しない」という「無我」を説いた。これは大衆がアートマンを「捉えることのできない私」と観念化してしまったことへの対処だった。
- 龍樹
釈迦の死後、解釈により派閥が分かれる。その中で、厳格な小座部と比較的緩い大衆部=大乗仏教への分裂が生じた。
大乗仏教では龍樹が、仏教の要諦を「縁起」であると考え、それを「空の哲学」として洗練させ「般若経」をまとめた。全600巻以上ある膨大な般若経をコンパクトにまとめたのが「般若心経」。
「般若心経」では「すべては無である」とし釈迦の根本教義である「四諦や八正道」も「無い」とし、呪文による「智慧の修行」によって悟りに至ると述べる。
中国哲学 タオの真理
- 孔子
紀元前6世紀ごろの中国山東省の思想家。孔子の人生自体は不遇だったが、のちに儒教の教祖とされる。
孔子の思想の中心は「家族に対するような思いやりの仁」と「仁を実際の行動に表した礼」にあった。中国歴史上の伝説的な堯、舜、禹 の時代の善政を理想とした。要は「思いやりと礼儀を大事にしましょう」と言っただけだが、歴史を正道に戻そうと国家権力にも神秘的権威にも屈せず、立ち向かった心意気があった。
- 墨子
孔子の死後100年以内に活動した思想家。
孔子の「仁」は親子の情が中心だったが、孟子は身内に限らない「兼愛」を述べた。自国を愛するように他国も愛すべきだとし、特に侵略戦争を憎んだ。
- 孟子
孔子の死後100年ほどの時期に活躍した思想家、儒学者。
「人は生まれながら禅の心を持っている」とする「性善説」を唱えた。それなのに戦乱の世となっているのは支配者側に「仁」がないからだとした。「性善説」を唱えた孟子だが柔和な人間だったわけではなく、王に対して苛烈な物言いをした。
「国家の中で人民が最も重要で、神がこれに次ぎ、君主は最も軽い」と述べた。ルソーの2000年前に同じ思想に辿り着いていた。
- 荀子
紀元前300年くらいに活躍した儒学者。
君主の徳性が天変地異などに影響するという考えや、占いなどの神秘主義を否定し現実的な見方をした。また孟子の「性善説」も「そうだとしても具体的に政治に活かすことはできない」とした。
人の本性は「悪」であるとし、平和に治めるためには、欲望を制限するため礼儀を定めて「分」を与えることが重要だと考えた。「礼が政治の極致であり、国家の根本」だと述べた。
- 韓非子
韓非子は荀子の下で「礼」を学んだあと法家にうつる。
法家とは「仁」という曖昧な基準ではなく、刑罰による強制力を持った「法」で国を治めるべきだとする思想。
秦の始皇帝が韓非子の著作に感銘を受け呼び寄せたが、宰相の李斯に追い詰められ自殺してしまう。
- 老子
紀元前4~5世紀ごろの人物。
孔子ら諸子百家が現世利益を考えたのに対し、老子の思想は「無為」を目指すものだった。
老子自身は自分の思想を誰かに伝える意図はなかったが、国を離れる際に役人に捕まり哲学を書き残すことを懇願されたため、書物を残した。
老子はまず道(タオ)が天地より先に存在したとする。原初は名を付けることができない状態で、名を付けることで万物が生まれた。
そして「道(タオ)を為すことで無為に至る」とした。無為とは「自分が何かしようとしなくても物事は勝手に起こるよ」ということで、脱力した状態が最も強いと考えた。
- 荘子
老子から約200年後、老子の思想を分かりやすく伝えたのが荘子。
老子はそもそも自分の思想を広げるつもりが無かったので、分かりにくい言葉しか残していなかったが、書く気満々の荘子により分かりやすい話になった。
「物はない」というのが最高の境地、「物はあるがそこに境界を設けない」というのがこれに次ぎ、「物と物の境界はあるが、善悪などの価値判断はない」とい順に続く、と解釈した。
荘子の寓話、朝三暮四(朝3個、夜4個の食べ物支給に怒った猿が、朝4個、夜3個で納得した話)は猿の愚かさを笑うものではなく「勝手に境界を引いて意味付けすること」の無意味さを伝えようとしている。
日本哲学 禅の真理
- 親鸞
鎌倉時代の仏教僧。浄土真宗の開祖。
仏教の深遠な哲学を学びつつ、それが目の前の人間を救うことに繋がっていないことに疑問を覚える。南無阿弥陀仏という念仏を唱えることで極楽浄土で救われるという方法を説いた。物事は「起こす」のではなく「起こる」ものだと考え、自力ではなく「起こるに任せる」のが正解だと考えた。
- 栄西
12世紀後半から13世紀初頭、日本に禅をもたらした僧。臨済宗の開祖。
臨済宗では「公案」と呼ばれるいわゆる「ナゾナゾ」を通して悟りにいたろうとする。思考を突き詰めるのではなく「思考が停止する瞬間」を作り、その瞬間に「無分別智」を目覚めさせようとする。
- 道元
鎌倉時代の禅僧。曹洞宗の開祖。
「公案」を使うこともなく、ただひたすらに「座る」ことで悟りに至ろうとする。
感想・考察
西洋哲学は理論で伝えられるものだが、東洋の哲学は知ることではなく「自分の体験として分かること」が求められる。言葉で教えることを信頼せず、相手が自発的に理解できるよう促していく。だから、状況や相手のレベルにより言うことが違っていたりするので、文献の解釈で理解に辿り着くことはできない。 本書も「西洋哲学編」とは違い、伝えるのに苦労している感じもあるが、それでも感覚的な理解を促すように書かれている。
それにしても飲茶氏は伝えるのが上手い。諸子百家の興亡や日本仏教の流れなど、どの歴史入門書で読むよりも分かりやすく整理されている。般若心経のロックな感じやドライブ感がグイグイと伝わってくるのもすごい。
ぜひとも読むべき本だ。