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超約ヨーロッパの歴史

超約ヨーロッパの歴史

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要約

英文タイトルは「The Shortest History of Europe」
古代ギリシア・ローマから20世紀の2つの世界大戦までに渡るヨーロッパの歴史を、いくつかの切り口で解説する。

  • ヨーロッパの誕生

ヨーロッパ文明は3つの要素で構成された。
・古代ギリシア、ローマの文化
・ユダヤ教の分家であるキリスト教
・ローマ帝国に侵入したゲルマン文化

哲学、科学、芸術、医学、政治思想などの分野で、ヨーロッパ文化の源泉は古代ギリシアにたどり着く。
また、キリスト教がローマ帝国に入り込み、ヨーロッパ文化の背骨となった。キリスト教会はギリシア、ローマの文化を保存し、自分たちの都合の良いように使っていった。
さらに、ローマ帝国を侵略してきたゲルマン人が溶け込んでいく。ゲルマン人はキリスト教を受け入れていった。

  • 近代ヨーロッパ

ローマ帝国滅亡後のヨーロッパは、ローマ教会によるキリスト教を中心とした中世を迎えた。

中世では、芸術や哲学の到達点は「古典」にあり、新しいものを求めようとはしていなかった。

15世紀の「ルネサンス」では、ギリシア・ローマ時代の文化が教会の外にも流出し、改めて評価模倣された。その上で新たな文化が「古典を超える」可能性が見出され、「文明が進歩する」ことが意識された。
また、ルネサンスに続く宗教改革が、キリスト教をローマ教会から解放し、社会の仕組みや科学哲学の研究が、制限から解放された。

  • 侵入と征服

ローマ帝国の西半分は、ゲルマン人侵攻の影響を受け5世紀半ばに滅んだ。ゲルマン人は強力な国家を形成することなく、小規模勢力が乱立する状態だった。その後も、イスラム教徒、ノルマン人ヴァイキングの侵攻を受けていく。

残った東ローマ帝国も主にイスラム勢力により縮小し、15世紀にはトルコ人によって滅ぼされた。その影響でイスラム文化圏から、古代ギリシア・ローマの文化が逆輸入され、先に述べたルネサンスに繋がっていく。

  • 民主主義

古代ギリシアでは「直接民主主義」が行われていたが、その時点ですでに衆愚のリスクが表面化していた。
その後、ローマ帝国は王政を経て共和政をとり、普遍的な「ローマ法」を整えていく。そこではすでに「権力の集中を阻止する仕組み」が取り入れられていた。
その後、ローマの共和政は混乱状態に陥り、1世紀ごろに再び王政を取る。3世紀に入ると、ゲルマン人の侵攻を受け、ローマ帝国は徐々に弱体化していった。

  • 封建制から絶対王政、市民革命へ

西ローマ帝国にとってかわったゲルマン家国家は小規模なものだった。
戦士の首領から成り上がった国王は政治運営の能力が低く、王が家臣に土地を与える代わりに戦闘への貢献をするという、原始的な封建制をとった。

力の弱かった封建君主は、実際の権力を持つ人々から助言を受ける仕組みを持つようになり、やがて制度化され議会となっていった。
中世では議会は常設されるわけではなく、戦費など急に資金が必要な時に招集されるものだった。

15世紀ごろになると、一部の君主は力を付け、家臣や議会と衝突するようになる。官職の利権を売買したフランスや、海外に富を求めたスペインなどは、議会の承認を得て徴税する以外の方法で資金を得て、権力を強めていった。

イングランドでは君主の力が比較的低く、議会が機能し続けていた。17世紀には「名誉革命」を経て、立憲君主制が確立された。

フランスでは18世紀の財政危機に際し、三部会とよばれる議会をベースに聖職者や貴族も合流して「フランス革命」が起きた。ここで「人権宣言」が出される。

  • 皇帝と教皇

ローマ帝国はキリスト教を受け入れた。ローマ教皇は皇帝に戴冠するなど権威付けに力を貸し、皇帝も教皇を保護していた。中世においてはローマ教皇がヨーロッパアイデンティティの中心だったといえる。

西ローマ帝国の方が以後も、各王侯とローマ教皇の協力関係は続いたが、11世紀ごろには対立が目立ち始めた。やがて起こった宗教改革は、各国の王侯とのパワーバランスによって成立したともいえる。

  • 言語

ローマ帝国には西のラテン語と東のギリシア語が存在していた。
ラテン語は、すでに日常語としては使われていないが、学術用語として生き残っている。
現在のヨーロッパでは、ラテン語をルーツとする「ロマン語」であるイタリア語、フランス語、スペイン語等、「ゲルマン語」の系統である英語、ドイツ語等、「スラブ語」系のポーランド語等がある。

ヨーロッパでは中世まで識字率が低かった。一般市民だけでなく、聖職者以外は、富裕なものや権力者でも読み書きはできなかったのは、当時ヨーロッパ特有だったといえる。

  • 農業

ヨーロッパの農村人口は、ローマ帝国の時期から、95%程度と高く、農業地区だったといえる。

18世紀後半のイギリスで産業革命が起こり、同時期に農村から都市への人口流出もあった。
時系列的には、農業改革によって大規模農地が構成され、土地を失った農民が都市に流入し、都市人口が十分あったから、産業革命が成立したといえる。
同じころフランスでは、フランス革命の影響で小規模農民が土地の所有権を得たため、農地の大規模化が進まず、結果として工業化に後れを取った。

  • 産業化と社会主義革命

イギリス産業革命後、労働者の環境は劣悪だった。
マルクス、エンゲルスは当時の状況を見て『共産党宣言』を著し、労働者の闘争を促した。
だがイギリスでは、労働者階級の民主化要求を否定せずに懐柔していった。デモなどの運動は認め、暴力的行為だけを罰した。その場合も比較的軽い刑に処されていた。政府は絶対に死刑は適用しないことを決めていた。
段階体に労働者の処遇は改善され、イギリスで社会主義革命が起きることはなかった。

フランスやドイツでも一時的に社会主義コミュニティが成立したが、極短命だった。

工業的には後進国だったロシアでは、戦争による政府の弱体化を突いて、共産主義革命を成功させた。

マルクスたちが予言したように、資本主義が発達したところで、労働者の不満が爆発する形ではなく、資本主義が未成熟な場所で、戦争をきっかけとして共産主義革命が起きた。

  • 二つの世界大戦

19世紀、小国乱立状態だったドイツはビスマルクのプロイセンが中心となり、ドイツ帝国を成立させた。
バルカン半島の緊張状態が引き金となり、ドイツはロシア、フランスとの両面戦争に突入する。やがてイギリスやアメリカを巻き込み、史上初の世界規模の「総力戦」である第一次世界大戦となった。

第一次世界大戦での屈辱的な敗戦条件を受け、ドイツは疲弊した。
その反動もあってヒトラー率いるナチスが、民族主義的な主張で支持を受け、再び戦争に突入していった。

二つの世界大戦を経て、ヨーロッパでは国を超えた協力関係を模索し続けている。

感想

「The Shortest History of Europe」という原題の通り、短くまとまっているが、わかりやすく斬新な切り口での解説で、興味深く読めた。

現代のヨーロッパでは、EUなど国を超えて協調していこうという動きと、民族主義的な衝突を繰り返す動きが、共存しているのが見て取れる。

そのベースになるのが、
・ローマ帝国以降、小規模君主の統治で境界が頻繁に変わったので「国」の観念が本質的には希薄。
・キリスト教を媒介とした一体感が残っている。
・一方で、近代以降、人民統治の目的で考案された「民族」というフィクションが、今でも一部生き残っている。
などの要因なのだろう。


ヨーロッパ人は、本当に気軽に国をまたぐ。
実際、国籍にこだわる感覚は皆無だった。
飲みの場で「国民性の違い」を肴に盛り上がることはある。でもあくまでネタだ。
オフィシャルな場では、例えば会社の採用でも「国籍」は完全にノーチェックだった。業務上「どの言葉のネイティブか」はみるけれど、国籍欄は未記入でも関係ない。この辺、今でも「外国人」の意識が残っている日本とは違うと感じる。

民族の意識も表面的にはわからなかった。ある程度の教養がある層では、民族の話題が「ヤバい」という感覚はあるのだろう。

EUの実験が、かつてのローマ帝国を超えて、あるいはキリスト教圏を超えて広がっていくのであれば、非常に面白いと思う。

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