あなたの人生の物語
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あらすじ
全8編のSF短編集。
- バビロンの塔
バビロンの塔に登る職人の物語。
天動説の世界観で宇宙の天井にまで届く塔が舞台。天空に造ららた都市に住まう人々の生活を見ながら数ヶ月をかけて塔を上り詰め、天井に穴を開ける。
- 理解
脳に障害を負った男が薬物治療受けた結果、超人的な記憶力や処理能力を持つようになった。
症状を観察する医師や能力を活用しようとするCIAたちの裏を描き、監視から逃げ出して自由に行動を始める。
男は世界に散らばるパターンの美しさを見出し、より深く効率よく思考するための言語を考案していった。
やがて、脳のフィードバックで肉体のコントロールや知覚能力も向上し、圧倒的な運動能力や、他人の感情を読み誘導する力も手に入れた。
世界に秘められたパターンの美しさに魅入られた男の前に、もう一人同等の能力を持ったと思われる人間が現れた。彼はその能力を「人々がよりよく生きるため」に使おうと考えていた。
陣地を超えたレベルでの争いが始まる。
- ゼロで割る
19世紀の初め、数学者たちはユークリッド幾何とは異なる公理系が無矛盾でありうることを見出した。
20世紀の初め、数学者のゲーデルは「形式的体系の中には、真に見えるものでも、その形式的体系の内部では真であることが証明できないことが存在する」という「不確定原理」を提唱した。
数学者のレネーは「数学が自己撞着である」ことに気づき、数学に形式的な美しさを追求してきた彼女の根本的な価値観を崩してしまった。
彼女は「わたしが心から無条件に信じていた何かが真実でないとわかり、しかもそれを論証したのは、ほかならぬこのわたしだった」という。
- あなたの人生の物語
ルイーズ・バンクスは言語学者として、エリアン「ヘプタポッド」の言語を習得し彼らから情報を得ようとしていた。
ヘプタポッドは会話と筆記で、異なる言語体系を持っていた。
特に書き言葉は特徴的で、自由に繋がる線分が意味を表す「表義文字」と言えるものだった。この表記から、ものの順序の観念や、目的と因果律の捉え方が人類とは違うことがわかってきた。
光は水面に当たると屈折する。
空気と水で光の進む速度が違うから屈折率が異なるという「原因」があるから、光の屈折という「結果」が生まれると解釈するのが自然に感じられる。
原因と結果の「因果律」で物事を捉える習慣があるからだ。
一方、光が一点にたどり着くために、空中と水中の速度を考え「最短時間になる経路を選択している」という変分原理を使った見方もできる。
この場合、光は最初の段階で終着点を「知って」いなければならず、因果律では説明できない。
ヘプタポッドたちの書き文字は、後者の考えを採用していた。因果関係を積み上げるのではなく、混沌とした複雑系をまとめて捉えようとする。
ヘプタポッドの言語に習熟したルイーズには、彼らの思考パターンが入り込んできた。やがて娘を授かり失うまでの全てが、混沌としたまま彼女に入り込んできた。
- 七十二文字
オートマトン(自動人形)に「名辞」を組み込んで動かすことができる世界。
オートマトンは単純な作業しかできなかったが、「命名師」であるロバートは手先の器用な「名辞」を発見した。この発見は、オートマトンにオートマトンの鋳型を作らせることで、安価大量生産を可能とするものだった。
ロバートは各家庭にオートマトンを普及させることで、現在の劣悪な労働環境から貧しい人たちを解放するすることを目指していた。
フィールドバースト卿は人類の危機に気づいていた。
男性の精子は残り5世代で終わるように組み込まれていることがわかり、人類が生き延びるためには、生命力を持つ女性の卵子による「単為生殖」が必要となる。
ロバートら優秀な命名師たちは卿に召集され、精子の代わりとなる「名辞」を卵子に書き込むことを研究していた。
ロバートはフィールドバースト卿の研究を手伝うが、やがて卿が「金持ち家系優遇の優生思想」を持っていることに気づき反感を覚える。
同じ頃、ロバートの技術が「鋳型師の職を奪う」と捉えた勢力が、彼の命を狙ってきた。
- 人類科学の進化
超人類がDNT(Digital Neural Transfer) 技術を使って情報交換するようになった時代、旧人類の科学雑誌は、超人類の成果の一部を翻訳するだけのものに成り下がっていた。
- 地獄とは神の不在なり
ニールは妻のセイラを失った。
天使ナタナエルが降臨し、周辺では病気が治癒する奇蹟があったが、セイラを含む数人は、天使が起こした炎の影響で死傷した。
ニールにはもともと信仰心はなかった。
時々、地獄を垣間見ることができるが、地獄での生活が現在より悪い物だとは思えなかった。
だがセイラを失い、彼女が天国に行ったことを知って「彼女と再会するため自分も天国へ行きたい」と考えるようになった。
ニールは天使との邂逅を求めたが、天からの光の矢に貫かれてしまう。死の直前、彼は神への愛を知り、直後に地獄に落とされる。
それまでの世界と変わらないように見えていた地獄は、神の愛が欠落した世界だった。
- 顔の美醜について
「カーリー」と呼ばれる「人の外見の美醜を判断する能力を失わせる処置」の是非をめぐる大学内部での闘争を、ドキュメンタリ風に描く。
感想
度肝を抜くレベルの作品が並んでいる。
最初の『バビロンの塔』が、あまり私に合わなかったので、しばらく読まずに置いていたんだけど、2作目『理解』から圧倒的に面白くなった。
『理解』は、脳のパワーアップが、身体能力の向上から「バイドフィードバックによる他者操作」まで引き起こす、バトル漫画並みのノリだけど、その背景に「宇宙に眠るパターンの美しさ」を見出そうという思いに感情移入してしまう。
この美しさこそが「神」なのだという感覚だ。
『ゼロで割る』も近いテーマなのだと思う。
数学という「体系の美しさ」を愛でる学問の内部に自己矛盾を発見してしまうことは「神学者が神の存在の矛盾」に気づいてしまうようなものなのだろうか。
自分には「1=2」という数式が成り立つと聞いても「ふーん、そういう解釈もあるんだろうね」くらいにしか感じられない。「数学の美しさ」に心酔する気持ちは理解できても共感はできない。
とはいえ「パターンや体系の中に見える美しさ」に神を感じる想いはわかる。
『あなたの人生の物語』もすごい。
最近「時間の流れや因果律は、人間の主観でそう見えるだけのフィクション」だという話が目につく。
この話も人間と全く違う思考体系を持つエイリアンの視点で「因果律以外のものの見方」をシミュレートしている。
人間が人間の言語を使って記述するのだから、その枠を超えることはできない。だが「エイリアンとの交流パート」に挟んで、時系列も因果関係も切り裂いた「娘への投げかけパート」を入れこむことで「世界の異なる見方」の片鱗を感じさせている。
『七十二文字』にもいろんなテーマがぶち込まれている。
「オートマトンがオートマトンを作ることへの脅威」というのが「AIに仕事を奪われることへの脅威」に被ってみえる。
個人的には「やりたくないけどやっていた仕事」を AIなりオートマトンなりが代わりにやってくれるなら大歓迎だ。「富の配分」がクリアになれば、何も問題はないと思う。(そこが難しいんだろうけれど)
この話の主人公には感情移入しやすかった。
『地獄とは神の不在なり』も面白い。
この話は信仰心がテーマで、それまでの話と入り方は異なるが「人智を超え、あまねく存在するもの」への愛を描くという点では共通している。
この主人公が地獄で感じた絶望が『ゼロで割る』で描かれた絶望と同じものなのだろう。
知的好奇心を刺激しまくるSFでした。