「最強!」のニーチェ入門 幸福になる哲学
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飲茶さんの本ってわかりやすくて面白いね!
また読みたい!
有名だけど難解な印象のある哲学者「ニーチェ」の思想の解説書。
とにかく面白くてわかりやすい。飲茶さんさすがです。
ニーチェは「実存主義」の思想をインパクトたっぷりで世に投げた人物。
個人的には実存主義のハシリとして挙げられるキルケゴールの「Life is not a problem to be solved, but a reality to be experienced」言葉が好きで共感していたので、その考え方はとても腑に落ちる。
人間とは、意味も目的もなく世界に放り出された「現実の存在」。
だからこそ、何の価値もない世界に自らの意思で価値を作り出し、その価値を積極的に楽しんでいく強さが必要なのだ、という考え方。
私自身「人生は最終的には無意味だけど、そのフィクションを目一杯楽しもう!」と、いつも考えている。そして、そういう受け止め方って割と一般的だよな、と感じている。
実存主義の思想、ニーチェの哲学は、ある意味わかりやすく受け入れやすいもので、「目的に縛られた人生に苦しめられている」人々を救ってくれるものなのだと思う。
本書は「わかりやすさ」に振り切っていて、「哲学」に触れるきっかけとしては最高レベルのものだと思う。
ぜひ多くの人に読んでもらいたい。
ちなみに本書は「自己啓発本によく出てくる頭のよくない生徒と、先生の対話」というフィクション形式をとっているが、やたらにメタ発言が多い。フィクションはフィクションだと意識させながら、それを楽しんでいる、という構成で、もう一階層上がったメタ展開といえるかもしれない。
ではここから、本書の内容を要約し紹介していきます。
生きることに意味なんてない
西洋哲学の歴史は「モノ」の背景にある「本質」を求める「本質哲学」が主流だった。真実、正義、美、善、目的 など観念的なものを探究するものだ。
これに対して、ニーチェたち「実存主義」と呼ばれる立場は「地に足のついた現実存在」について考える。
ニーチェの「神は死んだ」という言葉が有名だが、これは「人間に生きる意味を与えるような絶対的な価値観は、遅かれ早かれ、必ず壊れるよ」ということだ。
例えばキリスト教は「弱者を助ける」ことが正しいとしている。
ニーチェはこれを「不遇な環境に置かれたユダヤ人や初期キリスト教徒たちのルサンチマン」だと言い、「奴隷道徳」だと切り捨てる。
生物は本質的に「力への意志」を持ち、強くあろうとするのが自然なのだという見方で、不自然な「奴隷道徳」はやがて消えていくのだという。
飲茶さんはもう少し具体的な例として、現代日本では割と一般的な「努力して仕事で成果を出すことは素晴らしい」という感覚や、「結婚して子供を授かり家庭を作るのが幸せ」という考え方を上げる。
これらも社会から与えられた「観念的」なものに過ぎず、「現実存在としてのあなた自身が縛られる必要はない」のだ。
たとえば鶏で考えると「丸々太って肉付きがいいのが良い」とか「卵をたくさん産むのが良い」というのは、人間にとっての都合であって、鶏自身には何の関係もないことだ。これと「仕事での成果」や「家庭を作る幸せ」は同じレベルだといえる。
「こうしなければいけない」、「こうあるべきだ」という意味づけは社会が与えたもので、あなた自身とは関係ない。
人間とは、意味も目的もなく世界に放り出された「現実の存在」なのだ。
こうして、ニーチェ思想は、人を「意味・目的から解放する」ことから入っていく。
人生は虚しいものなのか
「人生には意味も目的もない」そう考えることで人は束縛から解放される。一方で、ニヒリズムにはまり込み無気力になってしまう人が生まれるだろう。 ニーチェはこうした人を「末人」とよび、今後急速に増えていくだろうと予言した。
「穴を掘り埋める無意味な作業の繰り返し」が拷問として成り立つくらい、一部の人にとっては「無意味・無目的」であることが辛いのかもしれない。
ニーチェは、無意味な人生の極端な例として「永劫回帰」という思考実験モデルを提示した。
「宇宙は有限の空間における有限個の物質の運動なのだから、無限の時間の中では、いずれ同じパターンが現れる」として、「我々の人生も遥か彼方の時間軸で再現される」のだという考えだ。
そこでは「人は全く同じ人生を何度も繰り返す」のであり、「考え方も行動も一切変えることはできない」のだ。それは究極的に「無意味」な繰り返しだといえる。
「未来に目指すべき何かがある」と考え生きてきた人は、そこで絶望に至るのだろう。
だからこそ今この瞬間を味わい尽くす
目的も意味もない世界で、幸福で充実した人生を送るためには、「今この瞬間を肯定的に受け止めること」そして「自らの意思で価値を作り出し、積極的に楽しんでいくこと」が大切なのだ。
そうやって無意味な人生を楽しむことのできる人間を、ニーチェは「超人」と称した。
ニーチェは「自分で価値を作り出し楽しむ」ことの例として「芸術」を挙げた。
究極的には無意味であっても、現実存在としての自分が「良い・美しい」と思うものを作り上げていくことで、人生を楽しみ充実させていくことができる。
飲茶さんはさらに卑近な例として、「横断歩道の白い部分だけを踏んで道を渡る子供」を挙げる。それこそ意味のないフィクションだが、だからこそ「今その瞬間を楽しもうとしている」ことの典型的な例となる。
本書の後半部分では、飲茶さん自身がニーチェから受けた影響について話をされている。
この部分はぜひ直接本書を手に取って読んでいただきたい。