歌の終わりは海 Song End Sea
こちらで購入可能
Song End Sea は尊厳死。
森博嗣さんは近未来SFのWシリーズで「人がほとんど生まれず、ほとんど死ななくなった世界」を描いています。
この話も同じ森ワールドの世界線にありますが、わりとリアリティのある現代が舞台で「自分の意思で死ぬこと」について語っています。
本作とWシリーズの間(多分200年弱くらい)に、人類が「死なないこと」とどのように折り合いをつけていったのか、とても興味のあるところです。
主人公の一人、加部谷恵美はなんとなく死に惹かれる傾向があるようです。そして漠然と「人の命はその人のもの」と捉えている感があります。
もう一人の主人公 小川令子は「人の命はその人のものであり、同時に社会的な意味もある」と言って加部谷を諭しています。
命は自分で作ったものではないのだから「神や世界から借りたもの」という考え方もあると思います。でもその使い方を神や世界が決めるのかというと、やっぱり違和感があります。
例えば自分にとって大事な人が不治の病に犯され死を望んでいるとして、ほんの僅かでも回復の可能性があるなら「なんとしても生きてほしい」という気持ちを持つでしょう。
それでもやっぱり最終的には本人の意思が決めることなのだと思います。
周囲の人は本人の意思決定に影響を及ぼすことはできるし、望まない方向に進まないようできる限り環境を整えていくことはできる。
それでも最後の決定権は本人が持つべきなのではないでしょうか。
個人的には、やりたいこと見たいものがいくらでもあるので、何億年でも生きたいし、なんなら永遠の命もほしい。Wシリーズのように「ほとんど死なない」世界の到来までなんとか生き延びたい。
「死というのがどういう体験なのか」という好奇心はありますが、一度しか試せない可能性が高そうなので、ずっと後回しにするつもりです。
そうして「世界には楽しいことがある」という小さな楔をうつことができればいいな、と思っています。
森さんの語り口は、確定的なことは述べず思考の断片を重ねることで流れを作っていきます。だから読者がいろいろ考える契機を得る。とくに本作のようなテーマには合っていると感じました。
ミステリとしてみると、ハウダニットもワイダニットも解決しきってない中途半端感ありますが。。まあ、ミステリじゃないんでしょうね。
あらすじ
小川令子の探偵事務所は、著名な作詞家 大日向慎太郎の妻 聖美から浮気調査を依頼された。
所員の加部谷恵美と慎太郎の動向を見張ったが、彼はほとんど家から出ることもなく浮気をしているとは思えない。それでも調査の継続を求める聖美に小川は違和感を覚えた。
同業の鷹知が慎太郎の実姉 紗絵子から依頼を受けていた。紗絵子は幼少期から慎太郎を支え、今も同じ屋敷に暮らしていたが、病気で身体の自由が効かない状態なのだという。
鷹知も慎太郎が浮気をすることはあり得ないと断言した。
ある夜、小川は一人で出かけた慎太郎を尾行する。だがそれも浮気ではなく、彼は夜の橋で海を見ながら一人泣いているだけだった。
そしてある日、鷹知が紗絵子に呼び出され屋敷に向かうと、彼女は首を吊って死んでいた。
警察は病気を苦にした自殺と結論づけたが、体を動かせなかった紗絵子が一人で天井の梁で首を吊ることができたとは考えられない。
だが、その時間には慎太郎も聖美も家政婦も全員が出払っていて、誰も紗絵子を殺したり自殺幇助することもできないかった。小川たちの監視が結果的にそれを証明することになる。
マスコミ嫌いだった慎太郎は紗絵子の死のあと態度を変えた。
慎太郎は加部谷の友人であるジャーナリスト雨宮のインタビューを受け、彼は紗絵子が死んだ部屋を見せ、その自殺の不自然さを語った。
不自然な調査依頼、不可解な自殺は、何の意図で行われたのか。