スマホ人生戦略 お金・教養・フォロワー35の行動スキル
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堀江貴文さんが「スマホ」について語った本です。
趣旨としては、堀江さんの以前から主張そのままなのですが、それぞれがスマホと相性が良い!
スマホという切り口がすんなりと馴染みます。
「楽しむことの延長で仕事しよう」とか、
「フットワーク軽く動こう」とか、
「強みの掛け算で独自性を出そう」とか、
「時間を効率的に使おう」とか。
大量に情報を集め、時間効率を上げて動き回り、アウトプットしていく堀江さんのスタイルに、スマホという道具はまさにピッタリなのでしょう。
一部「無理矢理スマホに寄せた感」もありますが。。
また、堀江さんの「テクノロジー性善説」というか、技術の進歩に全面的な信頼を置いているところに強いシンパシーを感じました。
多分堀江さんは半ば本気で「人が死ななくなる技術的特異点(シンギュラリティ)」を信じているのではないでしょうか。そこまで予防医学を最大限利用して生き延びようという戦略のようです。
うん、そこは真似したい。
以下、気になった個別トピックへの感想です。
・情報は「損得」ではなく「感情」で選べ
「これくらい知らないと恥ずかしいな」とか「これ知ってたらマウント取れるな」とか、損得が学びの動機になることは多いです。
もちろん損得も大切ですが、「楽しい」という感情を伴うときの方が、集中力も吸収力もダントツです。
たとえば、試験勉強としての英語は退屈だけれど、コミュニケーション自体を楽しもうとするときの英会話は楽しい。
単語も文法の楽しむ英会話の方が効率良く学べます。
最近だとルービックキューブのタイム短縮にハマっていて、動画を見て練習すること自体が楽しくて仕方ない。そうなると急にタイム向上してきました。
感情がモチベーションに直結しているのは間違いないでしょう。
・長いメールは送るな
ビジネスでも礼儀を重んじる人がいることは理解できます。状況によっては、丁寧なメールを送ること自体が内容より大切ということもあるでしょう。
でも、コミュニケーションを加速させたい場面では、まどろっこしい修辞はとにかく邪魔です。
最近ではTEAMSなどチャットでのコミュニケーションが多くなり、メールを使う機会は減っているような気がします。
でも、仕組み自体ははチャットもメールと大差ありません。
タイトルが不要だったり、会話をイメージさせる吹き出しスタイルだったりすることで、「会話っぽい雰囲気」を作っているだけです。
でもその雰囲気が重要で、無駄な飾りなしで「会話っぽく即レスする」流れを作っています。これがコミュニケーションを加速させている。
現状では、丁寧な発信が必要な場面もありますが、この垣根は徐々に薄れていくような気がしています。
・スマホ片手に外に出ろ
寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」のオマージュですね。
人が生み出す価値は「他者への価値貢献」です。
ボッチが好きでもいいし、物理的には部屋に引きこもっていてもいいけれど、社会的な価値を生み出そうとしたら、何らかの方法で人と交流することは避けられません。
そこで「持ち運びできる」というスマホの強みが生きてくるのでしょう。
書を捨てずに(=情報収集/発信と並行して)フットワーク軽く動き回れるのは、寺山修司時代からの大きな飛躍なのだと思います。
・要約した情報を手に入れろ
かつて堀江さんは「寿司屋の修行は不要云々」の発言で炎上したこともあります。
でも、文脈をみれば当たり前のことを言っているだけなのです。
より効率の良い手段があるなら、それを選んでもいいんじゃない?という主張自体は至極まっとうではないでしょうか。
べつに「時間をかけて学ぶこと」自体を否定しているわけではないし、それが必要な場面もあることは認めています。
例えば、次の項で英語学習について触れていて、「頻繁に英語に触れ続ける」という、時間のかかる方法が薦められています。
言語習得とか「身体性」に関わるところでは愚直な繰り返しが必要なこともあるのは当然です。
別に楽な道に逃げるわけでもなく、時間をかけた努力全般を否定しているわけでもないのですね。
当たり前のことを言っても反感を買ってしまうのは、言い方の問題なのでしょうけれど。。
・スマホで助けをよべ
これ、スマホとはあんまり関係ないけれど、大切なことだと思います。
「自分の弱いところを他者に任せられる精神的成熟」と「いざという時に頼れる人的ネットワーク」が大切という話です。
「一人でやった方が楽」という幼稚さが私自身にもあることを、改めて痛感させられました。
・もうパソコンなんていらない
これは、ちょっと合意しにくい。
スマホは「持ち運びのしやすさ」と「入出力のしやすさ」がトレードオフになっています。
小さな画面では一覧性が必要なスプレッドシートなどの扱いは難しい。
文章入力についても、フリックを鍛えればキーボードと大差ないレベルになるかもしれないけれど、限られた画面スペースで全体構成をイメージするのは難しい。この辺は堀江さんの才能なのだと思えます。
個人的に、現状ではラップトップとの使い分けは必要です。
ただ、あくまで「現状は」という前提です。
メガネくらいのデバイスでVR的な画面拡張ができたり、マスクの下で囁くくらいの音声入力ができるようになれば、ラップトップを置き換えることも可能でしょう。
そういうテクノロジーを作り出したい。
・所有欲は古い
そうなれば素晴らしいとは思います。
でも、かつてジョン・レノンも「imagine」で、所有という考えを手放すのは「hard to do」だと歌っていたように、人類にとって難易度の高い課題なのでしょう。
人が所有を求めるのには「モノがなくて困窮する事態」を避けたい、という不安が根底にあるのでしょう。
インターネットは多くのモノの限界費用を下げ、効率よくシェアする仕組みも生み出しています。供給側が圧倒的にリッチになっているのは間違いありません。
でも、受け取る側が変わるのはもっと難しい。
堀江さんのような「いつだって簡単に稼げる」という自信、あるいはひろゆきさんのような「コストを下げても生きられる」という図太さ。
そいう強さが広まらないと、いくら供給が豊富になっても、人の不安感が「富の配分の最適化」を妨げてしまう。
「稼げる自信」大事ですね。