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池上彰の講義の時間 高校生からわかる「資本論」

『池上彰の講義の時間 高校生からわかる「資本論」』 池上彰

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要約

難解なマルクスの「資本諭」を、高校生にへの講義形式で分かりやすくまとめている。

特に冒頭の一節が素晴らしく分かりやすい。
人間の労働があらゆる富の源泉であり、資本家は、労働力を買い入れて労働者を働かせ、新たな価値が付加された商品を販売することによって利益を上げ、資本を拡大する。資本家の激しい競争により無秩序な生産は強行を引き起こし、労働者は生活が困窮する。労働者は大工場で働くことにより、他人との団結の仕方を学び、組織的な行動ができるようになり、や当て革命を起こして資本主義を転覆させる。

  • 資本諭が見直された

「社会主義国家」と「資本主義国家」に別れた東西冷戦の時期には、資本主義の側でも、資本の暴走を防ぎ社会保障を厚くする政策が取られていたが、20世紀末に社会主義国家が軒並み崩壊したのちは、社会保障の負担が大きくなりすぎたため、市場原理に基づく「新自由主義」が広がった。

その結果、マルクスの時代のように金融恐慌が発生したり、日本においても派遣切りのような労働環境の悪化が広がっていった。

そのため、改めて資本論を見直そうという動きが一部で出始めている。

  • マルクスとその時代

マルクスは19世紀初めのドイツ(当時はプロイセン)でユダヤ人として生まれた。1848年にはエンゲルスと共同で「共産党宣言」を発表し、1867年に「資本諭」を出版した。

1917年のロシア革命は「資本諭」の影響を受けたものだったが、社会主義革命は労働者が成熟するまで資本主義が発達した社会で起きるというマルクスの想定とは異なる形で発生していた。

  • 世の中は商品だらけ

「資本論」は「商品」の分析から始まる。
「商品」は人の何らかの欲望を満たすためのものだと定義する。

  • 商品の価値はどうやって測る?

「商品」には「使用価値」と「交換価値」がある。使用する価値があるモノは他の使用価値のあるものと交換することができ、その比率は価値によって量的に示すことができる。

例:リンゴ2個(食べると美味しい)の価値=ペン1本(字が書ける)の価値 

そしてその価値は「人間の労働」が作り出しているとし、価値の基準は投下された労働時間によって決まるとしている。同じ労働時間でも複雑労働は単純労働をいくつか重ねた働き方をしているので、単純労働より価値が大きくなる。

また労働集約・分業による効率化で同じ労働時間で生み出せる価値が大きくなったため、社会全体の富が蓄積されていると考える。

  • 商品から貨幣が生まれた

商品は交換価値を持つが、交換に便利な価値あるモノとして、多くの社会で金銀のような貴金属が使われ、やがて貨幣となった。やがて貨幣は記号となり、貴金属との兌換性を失った紙幣も流通するようになった。

貨幣は「価値の尺度」「価値の保存」「支払い手段」としての機能があり、「世界貨幣」として国家間の貿易にも使われる。

  • 貨幣が資本に転化した

商品 → 貨幣 → 商品という単純な交換で価値が増えることはない。しかし貨幣 → 商品+付加価値 → 貨幣+付加価値 という過程で貨幣は増える。このように貨幣を使って剰余価値を生み出す動きを始めたお金のことを「資本」と呼ぶ。

「資本」は自己目的的に増殖を目指し、この運動の担い手を「資本家」という。資本が人格化したものが資本家だとし、資本家も資本の奴隷であり人間性を失ってしまうのだと考えた。

  • 労働力も商品だ

資本家が資本の価値を増やすためには「労働」が必要だとする。

封建社会では農民などの労働力は土地や領主に属しており自由にやり取りすることはできなかったが、資本主義社会では労働力も労働者の「商品」として自由に売買することができるようになった。

労働者と資本家は法的には対等で労働力と貨幣を等価交換している。

ただ、労働力の再生産コスト(疲れをいやしたり、食事をとったり、将来の労働力のため子供を育てたりするコスト)のために必要な労働時間が総労働時間より短ければ、労働により剰余価値が生じていることになり、この分は資本家がさくしゅしていると言える。

  • 労働力と労働の差で搾取する

例えば、ある労働者が12時間働いて12万円の価値を生み出すとして、その人が次の日も働くため休むコストとして10万使いその分を給与として渡すなら、残り2万円は資本家のポケットに入る。

労働者の生産物は労働者のものではなく資本家に属する。部品や加工機械などは調達時点から価値が変わらないので「不変資本」とよび、労働は自分の価値以上に価値を生み出すので「可変資本」とよぶ。

  • 労働者はこき使われる

労働による剰余価値を最大限にするため、資本家は労働者にできるだけ長時間働いてほしい。ただ限界まで働かせると労働力を再生産できなくなるため、ある程度の規制が生まれてきた。

またマルクスは剰余価値が生まれること自体は否定していない。労働力再生産のコストより多くの価値を生み出せるから、社会全体の富が増加し豊かになっていくといえる。剰余価値の配分の問題であると考える。

剰余価値には労働時間延長などで増やせる「絶対的剰余価値」と、労働効率を上げたり労働力の再生産コストを下げることによる「相対的剰余価値」がある。

ロボットなどの導入は「相対的剰余価値」を増大させている。また生産・流通のコストが下がり日用品の価格が下がれば労働力再生産のコストが下がる。

マルクスの時代には資本家と経営者はほぼ同一だった。現代ではサラリーマン社長も増え経営と資本は分離してきているが、株主の意向に従うという点で大きな違いはないと言える。

  • 大規模工場が形成された

労働の集約が資本主義の始まり。労働者が集まることで効率が上がるし、競争が生まれることで労働者個人ごとの能力も上がっていく。

一方で労働者自身が多くのことを学び、他の労働者と連携する術を学ぶことで、資本家との間に対立する空気が生まれていく。

  • 大規模な機械が導入された

機械の導入で節約できる労働時間が、導入のための労働コストを上回る場合に機械が導入される。

機械の導入は、力が弱い女性や子供も労働に就くことを可能とし、働き手が増えることにより家庭単位での労働力再生産コストを下げることができる。

また機械の導入は一定の労働時間の中での、労働の密度と強度を上げて、労働者はより疲弊するようになる。

さらに機械は労働者の競争相手となり失業者が生まれることにもなる。社会全体で労働者人口が余剰になれば給与が引き下げられる。

一方で単純労働を機械に置き換えた後に労働者の数は減り、残った労働者は多くの仕事に対応できなければならない。そのため職業訓練校など教育が支援されてきた。

  • 労働賃金とは何か

賃金は直接的な時間給であれ成果給であれ、時間給であることに変わりはない。出来高制は成果物により評価されるので仕事が高密度になる傾向にある。

  • 資本が蓄積される

労働の需要が上回ると賃金が上昇することはあり得るが、資本家が利益を上げられるポイントが限界となる。

結果的に資本は蓄積され、労働力以外に売り物を持たない「プロレタリアート」が増加していく。

  • 失業者を作り出す

生産手段への投資が増えることで労働力の相対的な量は減っていく。余剰労働人口=失業者 が増えることで賃金の増加が抑えられている。

マルクスは資本の蓄積が進むほど格差が拡大し生活困窮者が増えることを予言している。

  • 資本の独占が労働者の革命をもたらす

労働者が生産手段を保有している小規模経営の段階から、生産手段が集中する資本主義へと変化してきた。

マルクスは、今後さらに資本の集中が進み、科学が産業技術に応用され、労働手段が共同でのみ利用できるように変化し、全ての民族が世界市場のネットワークに組み込まれると予言している。

資本の集中は労働者の貧困と抑圧を生むが、一方では労働者側も訓練され統合され組織化される。資本主義はどこかの段階で労働者により覆されるとした。

  • 社会主義の失敗と資本主義

 マルクスは高度な資本主義国で社会主義革命が起こると想定していたが、実際には資本主義が未熟なロシアや中国で革命が起こった。下地となる労働者層が発展していない段階で一部のインテリが主導した革命だったため、国家権力主導による革命となっていった。

一方で資本主義国家の側は、ケインズらの修正資本主義により恐慌を回避したり、社会保障の強化で労働者の不満を和らげる動きをとり、革命を抑え込んだ。

東側の社会主義国が軒並み崩壊したのち、修正資本主義で国家の負担が大きくなっていた西側諸国には、市場に任せる自由主義に回帰していった。

その結果として150年前のマルクスの時代にと同じような状況が再現している。

感想・考察

持って回ったレトリックが多く読みにくい「資本諭」を、現代の具体的な事例に引き寄せて分かりやすく説明する池上氏の手腕はさすがだ。

池上氏の言う通り、社会主義国家の崩壊後に新自由主義が広がり、マルクスの時代の状況が再現している部分があるのは間違いないと思う。

ただ技術や社会状況など条件が変わっている部分も多々あり、それを現代の条件で考え直したらどうなるのか興味がある。

例えば以下のような点だ。

①「可変資本(=労働)から固定資本(=機械設備)へ比率が移る」と予測しているが、実際にロボットやAIの進歩で、多くの分野で直接的な労働の必要が小さくなってきている。将来的に一部分野だけでも労働がゼロで成立する産業が生まれた場合、労働力の投入無しで無限に資本を増加させることができるかもしれない。

そうなった場合「資本」はどこに向かうのか。

自己増殖の本能を失わないなら、市場維持のため労働しない労働者に賃金を分配するのか。「交換価値」を蓄積するメリットもなくなるので、自己増殖のモチベーションも失ってしまうのか。

②大工場など、資本も設備も労働者も大規模に集積されることを想定しているが、ネットワークの進歩が分散をもたらしている分野もある。

物理的なものを作る業界ではいまだ集約が必要だが、そういう分野ではロボットなどの導入効果が高く、労働者集約の必要性は薄れていく。メディアなどは形態によっては安価に小規模で運営することができるようになり、資本労働者の集約の意義が薄れているように思われる。インフラなどの寡占と多数の小資本になるのかもしれないが。

資本集中型でないビジネスの可能性が広がることが、資本の自己増殖による貧富拡大を抑制することはあり得るのか。

また、物理的に集約されない労働者が、資本家と対立するレベルまで組織化することはあり得るのか。そこはネットワークによるコミュニケーションが代替するのか。

③予備労働力としての失業者がいなくなることはなく賃金上昇を抑制していると分析している。一つの国の中での賃金上昇や労働人口、消費人口の変動は、グローバル化の進展で影響が見えなくなっていたが、今後アジア・アフリカでの人口増加が終息したのちは、人口動態の変動が直接影響するようになるのか。

資本主義が始まって以降初めて「労働者人口が減る」という事態が発生した場合、資本と賃金の関係はどのように変わっていくのか。

機械化・AI化の影響と相殺されるのか。

 等々、考えていくと面白い課題がたくさんありそうだ。

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