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汝、星のごとく

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誰が許さないの?
自分の人生を生きることを誰かに許されたいの?

好きな人と過ごし、好きな場所で暮らし、好きなことをする。
私は「自分の人生を生きたい」と思います。同じように感じている人も多いのではないでしょうか。

でも人生を自分で選択しようとする人の前には障害も多い。

例えばお金。
経済的な自由がなければ誰かに依存することになるし、会社などの組織に縛られてしまいます。
自分で自分を支えられるだけの経済力を持つことは自由の前提条件です。

例えば人間関係。
誰かに存在を認められ、誰かの存在を認めて生きる、そういう社会的欲求を持つ人が多いのではないでしょうか。人との絆を求めるのはいいけれど、そこに依存してしまうと自分で生きることはできません。

あらすじ

 恋に落ちた二人だけで世界が成立すれば、どんなに幸福なことだろう。しかし恋愛の行方を左右するのは、互いの気持ちだけではない。そうしみじみと感じさせるのが、凪良ゆうの『汝、星のごとく』である。恋愛小説で泣いたのは久々だ。

 瀬戸内海の小さな島で、少年少女は出会う。一人はこの島で生まれ育った井上暁海。父が他所に恋人を作り家を出てしまい、母は心に不調をきたしている。そんな井上家の事情は島の人々の噂の種だ。もう一人は、この島にやってきた青埜櫂。たった一人の家族である母親はいわゆる〝男なしでは生きられない〟タイプで、この地にも恋人を追ってやってきた。彼女は島で唯一のスナックを営み、周囲の女たちから冷たい目で見られている。

 ともに母親のケアをしながら高校に通う十七歳の二人が惹かれ合うのに時間はかからなかった。若い恋を満喫しながらも、気がかりなのは互いの家族のこと、そして自分たちの将来だ。そんな二人が成長していく姿を、長い時間にわたり描くのが本作だ。

 と説明すると、障害やらすれ違いやらを乗り越えた末に結ばれる二人を描く王道の恋愛モノだと思う方も多いだろう。だが実際に読み始めれば、まず、大人になった暁海視点のプロローグで「?」が大量に頭の中に浮かぶはずだ。なにしろ巻頭の一行目が、

〈月に一度、わたしの夫は恋人に会いにいく。〉

 なのである。しかも、その夫というのが……。本編から始まる暁海と櫂の純粋な恋を読み進めながらも、「これがどうしてあのプロローグに繫がるの?」と気になるはず。次第に、それよりも現在進行形の二人の物語に没頭させられていくのだけれども。

 高校卒業後、櫂は漫画原作者としてデビューを果たして単身東京へ行き、暁海は地元で就職する。遠距離恋愛となった二人はさまざまな困難に直面していく。

 その困難とは、もちろん第一に、母親の問題だ。暁海は不安定な母親から離れることはできず、東京に行った櫂も母親から金銭面であてにされ続ける。親を捨てて東京で二人で生活すればいいのに……と思ってしまうが、子供からすれば心理的にそんな簡単な話ではないだろう。彼らが母親を無下にできないのは、生来の優しさや肉親への愛情だけではなく、決断する、ということの難しさもある。恋の障害となるのは親の存在そのものというよりも、その苦しみかもしれない。

 彼らの親への接し方が、恋愛にも表れているのが印象的だ。母親に忍耐強く付き合う責任感の強い暁海は、櫂のことも頼りにしようとしない。一方、母親に甘い櫂は、暁海を恋人というより身内のように感じ、その気安さゆえにケアが足りなくなっていく。この親でこの子供だからこういう恋愛になるのだ、という有機的な描き方が本当に上手い。

 他にも、さまざまな要素が盛り込まれる。地域社会の人目の厳しさ、女は男に尽くし、男は女を守るのが当然かのような旧来の男女観の社会、女性への抑圧、さらには周囲の人々の恋愛事情やネット社会の怖さも……。それらは、二人の人生観と、人生そのものに大きな影響を与えていく。

 そんななかで、暁海が、家族にしか向けていなかった強い責任感を、少しずつ、自分の人生に向けていく姿が眩しい。彼女は少しずつ、自立心を養っていくのだ。男に依存する母親たちの姿が反面教師になったのかもしれないが、何より大きかったのは父の恋人、瞳子の存在だろう。彼女の影響で暁海がオートクチュール刺繡に興味を持つという点でも重要な存在だが、瞳子が暁海に語る言葉、ひとつひとつが深いのだ。たとえば進学について暁海が悩んでいた際、彼女は経済的な援助を申し出て「暁海ちゃんは好きに生きていいの」と言い、暁海が「そんなの自分勝手です。許されない」と反論すると、「誰が許さないの?」と返す。彼女はこう語る。

「わたしは仕事をしていて、それなりに蓄えもある。もちろんお金で買えないものはある。でもお金があるから自由でいられることもある。たとえば誰かに依存しなくていい。いやいや誰かに従わなくていい。それはすごく大事なことだと思う」

 高校生の時にこうして自立の大切さを教える存在がいるのは大きかっただろう。もちろん、暁海はそんな簡単に自立できる状況にはいない。しかし、この言葉が、のちの暁海の行動に影響を与えたのは間違いない。

 もちろん瞳子は暁海の家庭を壊した張本人である。だが、だからこそ、世の中の人間は善人と悪人に二分されるのではなく、大人も子供もみんなが未熟で、未熟な者同士が時に傷つけ合い、支え合うという現実がリアルに描かれていると感じさせてくれる。

 大人といえば、やはり気になるのは高校の教師、北原だ。暁海と櫂のよき理解者であるが、幼い娘と二人暮らしの彼の来し方は謎。ちなみに彼はプロローグでも登場する。読めば読むほど「こんなメンター的存在の北原先生が後にあんなことになっているのはなぜ……」と思ってしまうが、やがて読者の目には、プロローグの光景が最初とはまったく異なる意味合いを持って見えてくる。

 読み始めた段階で、あのプロローグが泣けるなんていったい誰が思うだろう。最後に読者は、これは恋愛小説であり、人生の選択の物語だったのだと実感するはずだ。人は、誰とどこで生きていくのか、好き勝手に選べるわけじゃない。でも、「誰かのため」もしくは「誰かのせい」ではなくて、どこまでも、本当にどこまでも「自分のため」に決断していいのだということ、その大切さ、豊かさを、粘り強く語ってくれる物語なのだ。

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