密会 アムロとララァ
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あらすじ
ララァとアムロの邂逅をキーに、初代ガンダム「一年戦争」の歴史をダイジェスト的に描いたノベライズ作品。
テレビ版原作者である富野由悠季さん自身の作品で、原作に比較的近いダイジェスト版的な作品。
娼館で働いていた ララァ・スンは、その才能をシャア・アズナブルに見出され、宇宙に連れ出された。
居住していたスペースコロニーを襲撃された アムロ・レイは、偶然乗り込んだガンダムのパイロットとして特異な能力を発揮していく。
アムロたちが乗るホワイトベースは、中立地帯であるサイド6のコロニーに立ち寄った。
そこでアムロはララァと出会い、お互いの心に触れ合う。
女性に屈折した感情を持っていたアムロだが、ララァに急激に惹かれていく。
自分を救ってくれたシャアを愛していたララァだが、アムロにも心惹かれる。
やがて二人は戦場でぶつかり合う。
アムロがシャアを討ち取ろうとしたとき、ララァは自分を盾にしてシャアを守った。
肉体を失ったララァはアムロの中で生き続け、闘いの終わりまで彼を導いた。
感想
世代的に、ファーストガンダムは「一般教養」だ。
富野氏は、小説版ではテレビ版と違う「アナザー・ストーリー」を書くと聞いていたが、本作はほぼオリジナルに沿っていた。何の違和感もなく受け入れられる話だった。
それでも、文章で読むとアニメで見るのとは違う側面が見えてくる。
ひとつめは「カムラン・ブルーム的な生き方の危うさ」だ。
カムランは、中立地帯サイド6の監察官だ。
ミライ・ヤシマの婚約者だったが、彼女は親の威光に頼り「自分として生きていない」カムランを頼りなく思いフッてしまう。
だが、カムランは未来たちの乗るホワイトベースが「中立地帯であるサイド6を出た直後」に狙い撃ちされる危険から守るため「攻撃すれば政治問題となる中立サイドの監察官」としてホワイトベースに横付けして送り届けた。
この時点で「カムラン、優男だけどカッコいいな」となる。
親の威光だろうが、自分の政治的立場だろうが「使えるものは使うしたたかさ」は、それだけだと見苦しい。でも「自分の身を挺しても」という「自己犠牲」が入ると途端に美しく見える。
「愛する人に振り向いてもらうため」という「目的が手段を正当化」することはなくても、「自分を犠牲にしても」という「手段が目的を美化」することがあるのだ。
ここに危うさがあるのだと思う。
この先は本書の内容ではなく、14年後の「逆襲のシャア」での話になる。
カムランは「ミライを守るため」、ブライトに核ミサイルを渡す。
「終身刑は間違いない」と、ここでも自己犠牲を見せるが、差し出したのは自分の命だけではない。
一年戦争時の南極条約以降「核兵器の使用禁止」は不文律として維持されてきたが、このタガを外してしまう可能性もあった。
コロニーや小惑星を地球に落とす方が核兵器よりも威力はあるが、コストパフォーマンスでいえば核兵器の方が「効率的に地球上の人間を減らす」ことができるだろう。ギリギリ維持されてきた「地獄の窯」を開きかねない。
「目的のために手段を問わない」危うさを「自己犠牲」で美化してしまうのは、恐ろしいことだと感じた。
2つめは、原作公開時の1979年と現代の「科学技術」の見方の違いだ。
1970年代は「工業技術」への期待が強かった時期なのだと思う。
産業革命から100年で原子力エネルギーを利用し始め、1903年にライト兄弟が有人飛行に成功してから、数十年で月にたどり着いた。
同じペースで進歩が進めば、近い将来に人類が宇宙に進出するというのも、違和感なく受け入れられたのだろう。
巨大なロボット兵器が使われる戦争というのもイメージできる。
一方、現実には、物理的な工業技術の進化はやや減速している感がある。
自動車は相変わらずゴムタイヤでアスファルトの上を走っているし、数十年前の航空機が現役で使われている。宇宙開発はほぼ停滞してしまった。
一方で「情報技術」の進化はすさまじい。
世界中がネットワークでつながり、多くの人が常時接続し、膨大な量の情報を発信し続ける。その情報を処理する力も急激に成長している。
技術というのは、物理的なものでも情報でも、一つの成果が次の成果を生むための礎になるので「複利で指数関数的に成長していく」ものだ。
だが成長は無限ではない。どこかにボトルネックが生じる。
物理的な工業技術は素材やエネルギーなど、ボトルネックとなる要素が多いため、「指数関数的な成長」が止まり、ボトルネックを個別に改善していく「直線的な成長」にシフトしてしまったのだと思う。
情報技術は物理的なボトルネックの影響が比較的少ないため、「指数関数的な成長」が続いている。
これも、いつかはエネルギーなどがボトルネックとなって「直線的な成長」に移行するのだとは思うが、まだまだ成長余地はありそうだ。
ガンダムに話を戻す。
宇宙世紀の戦いでは「ミノフスキー粒子」が電子的な通信を妨げ、兵器の遠隔操作ができなくなったため「人が乗り込む」兵器が使われている、という設定だ。
だが、現在の科学技術の流れであれば、巨大なロボット兵器を作るよりは「画像認識と自律的AI」がコントロールする小型兵器の方が、実現可能性が高いだろう。
最近では1970年代~80年代のように、ロボットアニメが量産されなくなったのは、どれだけ設定を練っても「リアル」感が無くなってしまったからだろうか。
「マトリックス」あたりから電脳世界での戦いの方にリアルを感じるし、むしろ完全にファンタジーに振ってしまう方が、まだ分かりやすい。
数十年後には、状況がひっくり返ったりしているのだろうか。