同志少女よ、敵を撃て
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お前は戦いたいのか、それとも死にたいのか
震えました。
第二次世界大戦のソ連の田舎村がドイツ兵の襲撃を受ける。16歳の少女セラフィマだけが、女性兵士イリーナの率いるソ連赤軍部隊に助けられた。
家族や友人を一度に失い茫然自失とするセラフィマにイリーナは問う。
「戦いたいか、死にたいか」と。
冒頭から実に凄まじい展開でした。
その凄惨さを象徴するのがイリーナの問い「戦いたいか、死にたいか」です。
そこは「生きること」が比喩ではなく「戦うこと」同義になる世界。「戦う意志を失ってしまえば生きることができない世界」なのです。
でも、物語の終盤では「実は他の選択肢もあった」ことが示されます。
「戦いたくない、でも死にたくない。そんな自分にだってできることはある」そういう生き方もイリーナは肯定し、むしろそれを「彼女にとっての戦争の終わり」と思っていたようです。
現代でも「世界は奪い合い、日々は戦い」だと感じている人が結構な数いるのだと思います。
でも世界はゼロサムじゃない。
「奪う以上に生み出す」という生き方もあるのだと信じています。
セラフィマはイリーナに連れられ女性狙撃兵養成学校に入校する。
そこではセラフィマと同じように家族を失った少女たちが狙撃兵となるべく訓練を受けていた。
やがて彼女たちは戦地に向かう。
本作で養成所パートが特に好きなのですが、中でも象徴的だったのが、イリーナの「場所当て」です。
この場所当ては「トランプ3枚数字が示すポイントに行く」という訓練です。
教官であるイリーナは訓練生たちに「お前は今どこにいる」と問います。
狙撃兵として距離や角度を目測する訓練なのだけれど、イリーナが生徒一人一人に「自分のいる場所を見失うな、いくべき方向を見失うな」と投げかけているように見えてきます。
後半に入って狙撃手として成長したセラフィマたちにあらためて問いかけるイリーナの姿は、作中でも最も胸が熱くなるシーンでした。
何のために戦うのかと問われたセラフィマは「女性を守るため」と応える。
狙撃兵として戦地に赴くセラフィマたち、ドイツ兵に殺された故郷の母や友人の少女、ドイツ軍に占領されたスターリングラードでドイツ兵と奇妙な関係を築いたロシア人女性など、戦争に翻弄された女性たちが描かれる。
そしてセラフィマの「女性を守る」という思いは最後までブレません。
ドイツ人女性を蹂躙する友軍のロシア兵を見たとき、セラフィマは「戦争」の枠組みを超えた行動を取ります。
国家や軍隊という組織にアイデンティティを預けた男たちと比較し、本作の女性たちはずっと生々しく自分自身として生きています。
その姿は美しくもあるのですが、私にはなぜかとても恐ろしくも見えました。
ここ数年の間に読んだ本で、最も衝撃的で心震える話でした。
多くの人に読んでほしい作品です。