哲学的な何か、あと科学とか
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要約
哲学的な何か
- 不完全性定理
「ある矛盾のない理論体系の中に、肯定も否定もできない証明不可能が明大が必ず存在する」という定理。「私はウソつきです」というような「自己言及のパラドックス」など。
「論理的に突き詰め、矛盾を解決していけば、いつかは真理に辿り着ける」と考えを否定した。
- 公理
たとえばユークリッド幾何学では「平行線は交わらない」ことは証明の必要のない「公理」だとしている。そういった公理をベースに理論体系が作り出されてきた。
だが非ユークリッド幾何学が「平行線も交わる」としも矛盾なく理論体系を築くことが発見された。
「公理」は、感覚的には自明のものであり、そこから矛盾ない理論体系を築けるから正しいと考えられてきたが「適当に公理を決めても、無矛盾な理論体系は作れる」ことが証明された。
これは「あらゆる理論体系は絶対的な真実の記述ではなく、一定の公理から論理的思考の蓄積で作らられた構築物」であるとみなされるようになった。
- 我思う、ゆえに我在り
デカルトは全てを疑っても「疑っている主体」である何者かが存在することは絶対的な真実だとした。
- 論理
論理的思考には必ず「飛躍」と「矛盾」がある。
「A=Bで、B=Cなら A=C」 という論理にしても、AとBが完全に同じものであれば、A=Aの言い換えに過ぎず意味はない。厳密には異なるAとBを同じとみなす飛躍がある。
- イデア論
例えば完璧な三角形を書くことは原理的に不可能だが、思い浮かべることはできる。「観念的な三角形」があり、それを基に三角形っぽいものを三角形とみなしているというのがイデア論。
- 物質
「自転車」は物質か。見たり触ったりできるから物質だと思うが、サドルやタイヤがなくなれば、それは自転車ではなくなる。全体として機能するシステムに名付けられたのが「自転車」だ。
そう考えると「鉄」も分子を一つ失えば、鉄として機能しない。そう考えると鉄として機能するシステムを名付けたと考えられる。
こう考えると全てのものは「その機能」が名付けられたものに過ぎず物質そのものの名ではない。
- 道具主義
「観念はいかに精密で無矛盾でも仮説。その価値は有効性にある」とするのが道具主義。
あと科学とか
- 相対性理論
音の速度は、動いて観測すると変化するが、光の速度は止まっても動いても一定。であれば「距離」と「時間」の方が変化すると考えたのが特殊相対性理論。
- カオス理論
「どれほど完璧な理論ができても未来は予測できない」とする。システムが複雑になればなるほど、初期値の小さな違いが大きな結果の違いとなる。
観測値には絶対に誤差が含まれ、対象が複雑になればなるほど誤差の影響が結果に大きく表れるため、複雑な事柄を予測することはできない。
- エントロピー増大の法則
「自然界では常に秩序から無秩序に進む」とする理論。
例えば人間が片付ければ部屋は秩序を取り戻すが、人間の活動自体が食物のエネルギーか等でエントロピーを増大させているので、全体として見ればエントロピーは増大している。
- 散逸構造論
「すごい偶然」でエントロピーが減少することはあり得る。すごい偶然による小さな揺らぎがポジティブフィードバックと通して自己組織化することはあり得るという考え。
- 4つの力
「力」というのは相互作用。一方的なものではない。
4つの力は「重力」「電磁気力」「弱い力」「強い力」。これを統一する理論が探されている。
- 不確定性原理
「ある粒子の運動量と位置を同時に正確に知りことは原理的に不可能」
位置の正確性が増せば、運動量の正確性は落ちる。
量子力学とか
- 波動と粒子の2重性
光には干渉縞ができるという波としての性質と、光電現象という粒子としての性質を併せ持つ。光は波でありかつ粒子であると考えられている。
光だけでなく、全ての物質で粒子と波の性質を併せ持つ考えることができる。
- 2重スリット実験
大量電子を2つのスリットを通して打ち出すと、干渉縞が見られる。
電子1つだけを打ち出すと、左右どちらかのスリットを通って一点に着地する。
ところが1つの電子の打ち出しを繰り返すと、着地点の傾向に干渉縞が見られる。
スリット通過時点では左右の一方しか通っていない電子が、もう一方からの影響を受けたように見えるのは何故か、というのが2重スリット問題。
- コペンハーゲン解釈
「観測する前は波だが、観測された瞬間に粒子になる」という解釈。スリットを通過した時点では波なので、位置の可能性としては波の干渉を受けるが、着地し観測可能となった時点では粒子になっていると考える。
シュレディンガーによる波動方程式で確率的に計算することができる。
- 多世界解釈
「電子が確立として重なり合っている状態なら、観測者の人間も確立として重なり合っていると考えられるのでは」という解釈。こういう観測をした自分とは別の観測結果を得た自分も確率的には存在すると考える。
コペンハーゲン解釈と同じく結果に矛盾はないが「実際に役に立たない」ので主流となっていない。
- パイロット解釈
「電子が飛ぶ前に、位置をガイドする波が出ている」とする理論。イメージとして理解しやすく理論的に矛盾はないが、これも「計算が難しく役に立たない」ので主流となってはいない。
- 解釈問題
コペンハーゲン解釈、多世界解釈、パイロット解釈のどれも正しいとは言えない。観測して確かめることができない世界の話なので、結果としてツジツマの合うものが採用されているだけ。どれが役に立つかという有用が問題になっているだけで、正しさという意味では、例えば「見えない小人さんが運んでる」解釈と同じ。
科学哲学史とか
- 帰納主義
「黒いカラスをたくさん見たから、カラスは黒いものだ」とするのが帰納主義。「科学は観察という確かな事実を元にして、事実と矛盾しないように構築されていくべき」だという考え方。ただ都合の良いデータだけを集めることで、様々な理論を正当化することも可能となる。
- 論理実証主義
あらゆる理論は「○○は△△である」という基本的な命題と、「かつ」「または」「ならば」という論理関係で表現される。
厳密に論理関係を実証していくことで正しさを評価していくのが「論理実証主義」。ただしこれを厳密にやりすぎると、全ての理論は正しいとは言えないと判断されることになる。
- 反証主義
「反証可能なリスクを負うものが科学である」と考える。
「今まで見たカラスは全部黒かった。だからカラスは黒い」というのは「黒くないカラス」が発見されれば反証される。だからこの宣言は科学的だと言える。
ただ間違っている理論を間違っているということも確実にはできない。
どこかで「疑うことを止める」判断をする必要がある。
結局は「とにかくこれは絶対に正しいんだよ!」という決断によってしか成り立たないのが科学理論。
もっと哲学的な何か
- 人工知能の心
自分以外の人間が自分と同じ心を持っているかを確かめることは原理的にできない。それは人工知能でも宇宙人でも変わらない。
「人工知能に心があるか」という問い自体がナンセンス。
- クオリア
自分が認識している「赤」と他の人が感じている「赤」が同じだと証明することはできない。自分にとっての「青」が誰かにとっても「赤」であっても矛盾なく成り立つ。
この色を「赤」と感じる質感「クオリア」がどこから来たのかは、現代科学では全く分かっていない。
- ゾンビ問題
外見的に人間と同じ反応をするが心のない「哲学的ゾンビ」を見分けることはできない。意識や主体的体験はなくても世界の成り立ちに影響しない。
- 自由意思
「右のコップを選ぶか左のコップを選ぶか」を無意識に選んだ場合、自分で選んだ原因が分からなければ「自由意思」」によるものとはいえない。
「右のほうが利き手に近かったから」という合理的な理由に完全に従ったのであれば、プログラムによって動くロボットと変わらないということになる。
結局のところ「自由に意思を引き起こす自由」はないと言える。
感想・考察
入門書を色々と読んでみても、本書ほど分かりやすいものはなかった。
分かりやすく消化している分、厳密さに欠けたりするのかもしれないが、理解のための地図として役に立ちそうだ。
飲茶さんの本をいくつか読んでみようと思う。