これからの「正義」の話をしよう ──いまを生き延びるための哲学
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「公正な社会は、ただ効用を最大化したり選択の自由を保障したりするだけでは達成できない。
善良な生活の意味をともに考え、避けられない不一致を受け入れられる公共の文化を創り出さなくてはいけない」
要約
「正義」 への3つのアプローチとして「幸福」「自由」「道徳」を挙げている。
「幸福」を重視する功利主義の立場では「最大多数の最大幸福」を目指すものだ。ここでは「誰のためのどんな価値」なのかは無視される。
「自由」を正義と結びつける立場では、市場主義的な自発的選択が正義を根拠とする。その中には、経済的に不利な状況などは是正した上でなければ、真の自由ではないと考える公正派も存在する。
「道徳」を尊重する立場は「正義」は道徳的に中立ではありえないとし、社会的アイデンティティーや宗教的信念をベースとしたうえで涵養される美徳だと考える。
著者は多くのケーススタディから、何が正義なのかを考えさせる。
メキシコ湾ハリケーンからの復興時に、生活必需品の価格が高騰した例を挙げている。最近の日本でいえばマスクやトイレットペーパーの「転売ヤー」のようなのものであろう。
この例を功利主義の立場からみると、「マスクの価格高騰が、マスクの増産や物流体制確立のためのインセンティブとなり、必要な生産量を確保する役に立った」のであれば「正義」であり、「単に物流の混乱を招き、必要な物資が必要な場所に届かなくなった」のであれば「不正義」ということになる。
あくまでも「社会全体」としての視点だ。
自由主義の立場であれば、双方が自発的に合意したのであれば、10万円のトイレットペーパーも「正義」だということになる。もっとも「今ケツ拭く紙がねぇ!」状況にある人が「自由」に契約したとは言えない。
カントも「自由」を重視したが、彼の言う自由は厳格で「自律的であって、条件や他者に流されない」ことを意味していた。「豪邸に住みたいから→金持ちになりたいから→マスクの転売で儲けたい」というように、何かのためにあることをするのは「他律的」であり、それは自由な選択ではないと考える。
ジョン・ローズは自由を担保する前提として「公正である」ことを追求した。「もし自分の社会的立場が分からない状態であれば、どうするか」という視点であれば公正なルールを作れるという考えだ。「大量のマスクを買い占めた立場かもしれないし、患者が殺到する医療現場で働く立場かもしれない」と考えたとき「自分が負いたくないリスクは何か」という判断ができる。
著者自身は最後の「道徳」を重視する第3の立場に立つ。「正義」は道徳的に中立ではありえず、社会的アイデンティティや宗教的信念をベースに解釈していく。
人によっては「マスクの買い占めで困る人がいるかもしれないけれど、自分の家族だけでも絶対守る。買えるだけ買っておく」ということかもしれないし、「『隣人を愛せ』という教えに従い、損してもマスク在庫を放出する」ことかもしれない。
所得や機会、権力などを公正に分配するための唯一の原理はあり得ない。正義にはどうしても判断が関わってくる。道徳や宗教について意見を一致させることはできないが、不一致を抱えつつも相互尊重する政治は可能だと著者は述べている。
本書では、徴兵制や代理出産、入学試験のアファーマティブ・アクション(黒人を優遇するなど)のケーススタディを多く取り上げ、考えさせられる構成になっている。
感想
宗教が大きな力を持ち、為政者が恣意的な正義を振りかざしていた時代に「中立的な正義」が求められ「功利主義」や「自由主義」の思想が生まれてきた。
だが著者は、最終的に正義の根拠を「宗教、地域コミュニティーに基づく道徳」に回帰させている。「フリダシに戻る」ような感じを受けてしまう。
本書での「功利主義」や「自由主義」の問題分析や、「正義」が中立ではありえないという理論は精緻で理解しやすいのだが、「道徳」を推す部分で「不一致があっても相互的尊重に基づいた政治は可能」という部分はもう少し詰めた話を聞きたいと思う。
様々な示唆があり、考えさせられる本であることは間違いなく、一読をお勧めしたい。著者の別の本も読んでみたいと思う。