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正義の教室

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「人間は完全な正義を知りようもない。
それでも、何が正しいか分からない世界の中でも、『正しくありたい』と願い、『善いこと』を目指して生きていく。
きっとそれこそが、人間にとって唯一可能な正義だ」

要約

功利主義「最大多数の最大幸福」
vs
自由主義「人の自由を害さない限り自由」
vs
直観主義「人は誰もが同じ良心を持っている」

「正義」を追い求め続けること自体が正義だ!!

生徒会長の山下正義は、幼なじみの最上千幸、副生徒会長の徳川倫理、上級生の リバティ・自由(ミユウ)・フリーダムと共に「焼きそばパン買い占め転売」など学校で起きる出来事の是非を考えていた。
倫理の教師 風祭封悟が「正義」について考えさせる。

千幸は功利主義の立場に立ち「人々の総ハッピーポイントが最大になる」ことが正義だと考える。だが「幸福は本当に計算可能なのか?」「身体的な快楽が本当の幸せなのか?」「何が幸せかを決めるのは独善的にならないか」といった「欠点」を見せられてしまう。

自由主義を信奉するミユウは「自由という個人の権利が一番大切」という立場に立つが、自由が格差を広げ弱者を排除してしまうことを、心の底では認められずにいた。

倫理は直感主義(=道徳・宗教主義)の立場で「人間は誰もが共通する善を持っている」という信念を持とうとしていたが、実際には「何が善なのか」についてずっと結論が出せずにいた。

主人公の正義はかつて素朴な善悪観を持っていたが、いじめられていた千幸を「正論」で助けようとして状況が悪化してしまったことを悔やみ、それ以降は「絶対的な正義などはない」という姿勢を貫いてきた。

正義たちの学校では、かつていじめによる自殺者が出たことから、カメラで監視する「パノプティコン・システム」が導入されており、生徒会はその是非を問う立場にあった。

功利主義から考えれば、「小さなコストで確実な成果を上げる」ことができる。「監視される側の幸福度は落ちても、いじめられる人が出ない方が全体としての幸福度は上がる」ことから肯定すべきなのかもしれない。
自由主義の立場では、監視により自由を制限するのは論外だろう。
直感主義でも、監視は人を善に導くものとは考えられないだろう。

正義は「パノプティコン・システム」を肯定する結論を出す。

感想・考察

マイケル・サンデル氏の「これからの正義の話をしよう」をなぞったような展開だ。サンデル氏の本の後にこちらを読むとより理解が深まると思う。

「哲学を分かりやすく解説する」ことにかけて希代の名人である飲茶氏だけあって、サンデル氏の本と比べても本書の方が圧倒的に分かりやすい。
またサンデル氏の本は「功利主義」や「自由主義」についての考察としては詳しく解説されれていたが、サンデル氏自身の見解「道徳主義」への着地は、展開が急すぎて正直ついていけなかった。

一方で本書の主人公が辿り着いた「人間に完全な正義は把握できない。でも、それでも、『正しくあろう』とし続けること自体が正義だ」という結論は100%腹に落ちるものだった。実際猛烈に感動した。

本書にあるように「相互監視」による社会の息苦しさが徐々に増しているように感じる。芸能人の不倫だとか、ちょっと不謹慎な発言が有ったりとか「正しくないこと」に対して、本当はごく一部かもしれない「厳しい糾弾」が実際以上に力を持っているように感じるし、実際に社会の体制が厳しい方向に引っ張られているようにも感じる。
反動も出てくるのだろうが、長期的にみてネットワークの進歩が「相互監視」を強める方向に向かうのだろうと思える。

そんな中でこそ、自分自身の「正義の軸」を持つことが大切なのだろうが、社会の現実を見てきた我々は、「絶対的な正義のモデル」を信じることができない。
それでも「正義などない」としてすべてを相対主義的に捉えれば、社会の枠から1㎜も飛び出すことができなくなる。
「すべての善は疑わしいかもしれないが、善を目指そうという自分の心は確かにある」と思いたい。

最後のオチは好みによるかもしれないが、そこまでの展開は完璧。飲茶氏の作品はどれも好きだが、本作がこれまでの最高傑作ではないだろうか。

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