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アナキズム入門

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極右に振り切った自由主義と、極左に振り切ったアナキズムが「権力が干渉しなければいい」という点で重なるのは面白い。

「権力を持つとろくなことをしねえ」のはその通り。でも「権力が無けれそれでばうまくいく」というのは楽観的すぎる。

要約

19世紀初頭からアナキズムを牽引してきた5人を紹介する。アナキズムの本質はアノニマス(匿名性)にあり歴史に名を残さない人たちの活動が重要としながら、主な活動家の生涯を通してアナキズムの歴史を概説する。

 

  • プルードン

フランス革命により封建体制が崩壊し、反動を繰り返しながらも民主主義が進展していく時期に生まれる。

フランス革命後、王による統治はなくても問題ないという事実に、周辺国が恐れ干渉を始める。フランス内でも選挙による民主的な政治体制が取られ始めたが、結局はお金のある有力者が議席を取り、王侯から富裕な市民に統治者が変わっただけだった。プルードン自身も一度は選挙により議員となったが、選挙という制度を信頼してはいなかった。

プルードンは、所有と保有の観念を分け、労働者が労殿結果得る「保有」は認めるが、世代を超えて相続されるような「所有」は自然権ではなく濫用されているとした。共産主義では公的に「所有」することを勧めているが、プルードンはこれも個人の自由意思を阻害するものとして認めなかった。

プルードンは「労働の支配」からの解放について、人々の生活を変えていく経済的な革命を目指していたが、政治革命を志すマルクスからは非難されていた。

プルードンは「連合の原理」の中で中央集権的な国家不要の社会の在り方を説いた。個人やそれぞれの自治体が自主的に物事を決め経済を形作っていく。

 

  • バクーニン

ロシアの貴族の生まれであるバクーニンは、皇帝を廃し国家を作り直す活動に傾倒していたが、やがてアナキズムに近づいていく。

ドレスデンでの蜂起の後逮捕され、死刑判決を受けるが革命家への影響力の強さから死刑実行は躊躇され、やがて釈放された。

ジュネーブで行われた「平和と自由の会議」で、ヨーロッパでの合衆制の提案、劣悪な労働環境の見直し、国家による宗教の強制廃止、などを訴えた。また共産主義は自由の否定であるとして拒否した。権威を否定し自由連合にによる社会を望んだ。国家の廃絶を提言している。バクーニンもマルクスとは対立していた。

 

  • クロポトキン

クロポトキンもモスクワの貴族の生まれだったが、シベリアでの兵役を通し「行政機構は民衆のためになることは絶対にできない」という信念を持ち、国家への信頼を失っていった。

その後、クロポトキンは革命を扇動しシベリア送りとなったミハイロフと交流を深め、ミハイロフの死後には軍を離れ地理学者として活躍することとなる。「民衆と共にある学問」を追い求めたクロポトキンは革命への関与を深めていく。

チューリッヒを経由しジュネーブに至ったクロポトキンは第一インターナショナルに参加するが、その活動に失望した彼は「国家主導の社会主義」を批判するバクーニンらのアナキズム思想に近づいていく。

反政府活動の罪で投獄されたが脱獄し「前衛」「反逆者」といった新聞を発呼するなど、ペンの力で革命を支持していく。

当時隆盛していた進化論に則り「相互扶助論」を著し「自然には相互抗争の法則と並んで相互扶助の法則があり、相互扶助の法則は生存闘争の勝利にとって、とりわけ種の前進的進化にとって、相互抗争の法則よりもはるかに重要」と述べた。

「万人の万人に対する闘争」が「自然状態」だとするのは過ちだとし「喧嘩で勝ち残ったものが生き残るのではなく、喧嘩で負けても死なずにすんだ生物が進化を遂げた」のであって「相互扶助」が本来的なものだとみた。「アナルコ・コミュニスト(無政府共産主義)」としての立場を論じた。

晩年はドイツ・オーストリアへの反感から国家レベルの戦争を支持し、アナキストたちから離れてしまった。

 

  • ルクリュ

ルクリュはフランスのプロテンスタント神父だった父のもとに育つ。カトリックが有力だったフランスで独立精神の強いプロテスタントは異端だった。

ドイツの大学で学び、ロンドン、アメリカ、中南米を渡り歩き、フランスで革命が落ち着いた頃に故国に戻った。アメリカ滞在時に書いた奴隷制批判の文書はリンカーン大統領から評価されたが、権威に靡くことを潔しとしないルクリュは表彰を断っている。

フランスに戻り猛烈な勢いで革命を煽る文書を書きまくった。パリ・コミューンに参加後に投獄されるが、ダーウィンらの著名な人間やアメリカ政府までがルクリュ釈放を元絵、国外追放に減刑された。その後、ルクリュもスイスに赴き、アナキストたちと交流を深めていく。

 

  • マフノ

 ウクライナに生まれたマフノは農奴解放の運動にかかわっていく。当時のウクライナでは共産主義の勢力は弱く、国家を皇帝から解放することを目指す小規模団体がそれぞれに革命に参加していた。マノフは武装戦線に参加したが捕まってしまい政治犯としてロシアに移送され投獄されてしまった。獄中でアナキストや共産主義の革命家たちと知己を得ることとなる。

釈放後、故郷に戻り初期のソヴィエトに参加し、ブルジョアたちと戦っていった。

マノフたちはロシアのボリシェヴィキとも戦っていたが、ウクライナ帝政派からの反撃を受け、一時休戦を申し入れる。だがレーニン率いるボリシェヴィキ軍はアナキストたちを誘い込んで殺し、ウクライナ農民たちへの宣伝工作もあってマノフたちアナキスト勢力は勢いを失った。

 

感想・考察

アナキズムの視点で見ると、共産主義国家が行き詰ったのは資本主義国家以上に集権的であったからということになり、実際にその通りなのだろう。

しかし「人は本来的に相互扶助の精神を持ち、権力機構が無ければうまくいく」という性善説は素朴過ぎると感じる。また、科学進歩などの大規模なプロジェクトを、個人や権力に寄らない組織の手でどこまで進めることができるのか疑問に感じる。

「権力者の行動を制限する法」がある立憲制や、選挙などでの権力交代の強制、三権分立など権力の分散など「国家という必要悪をどのように使いこなすか」に苦慮し進歩してきた現在に至る流れを支持したい。「人類は頑張ってる」と思う。

近年ではネットの発達によりフラットなコミュニティができている部分は確かにある。大局的に見ると、ごく少数のプラットフォーマーに、かつての「王様」を凌ぐほど力が集中しているが、うまく使いこなすことができれば、経済・文化だけでなく政治の分野でも革命的な変化が起こるかもしれない。

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