奇書の世界史
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「フィクション」ってすごい
三崎律日さんがニコニコ動画やYoutubeで公開している「奇書の世界史」の書籍化。
現在であれば「トンデモ本」とされるような内容が奇妙な本や、偽書なのに世に広まったなど、その出自や流通が奇妙な本などを「奇書」として紹介する。
また、奇書とは言えないがその後の世界に大きなインパクト本3冊も、番外編として紹介している。
ニッチな本の選択眼だとか、各章末の三崎さん自身のコメントだとか、やけに親近感を感じざるを得ない。
要約
魔女に与える鉄槌
15世紀の異端審問官 ハインリッヒ・クラメールが著した「魔女狩りに関する手引き書」
「魔女を炙り出すための効果的な拷問法」だとか「キリスト教義的に正当な処刑法」だとか、現代の視点でみると「トンデモ本」だ。
それでも本書が当時広く読まれたのは
・教会権威を利用したクラメールの「プロデュース力」
・活版印刷の実用化に伴う「書籍ブーム」
が合致したことにある。
ただそれ以上に本書が当時のヨーロッパの「時代の雰囲気」にあっていたことが最大の要素だったのだろう。
台湾誌
18世紀初頭のロンドンで、自称台湾人のジョルジュ・サルマナザールが著した台湾についての本。
17〜18世紀の台湾の様子を伝える文献として、これ以上望めないほど詳細なもの。
ただ一つの問題は、本書がサルマナザールの妄想による偽書であることだった。
当時のイギリスで台湾についての情報は極めて少なく「ミステリアスな場所」だったのだと思われるが、それにしても、なぜ人々は完璧に騙されてしまったのか。
ヴォイニッチ手稿
20世紀の初頭に古物商フィルフリド・ヴォイニッチに発見された「古文書」
挿絵が多く書かれている対象が、植物、天文、生物、薬草などであることはわかるが、そこに使われている文字は暗号化され、いまだ解読されていない。
13世紀のロジャー・ベーコンの手稿であるという説、レオナルド・ダヴィンチの練習帳であるという説などもあり、今日でも解読に取り組まれている。
一時は、ヴォイニッチによる「でっちあげ」だという説が有力になったこともあった。
だが、ネットが広まりコンピュータの性能が上がることで解析の質・量が向上し、「文章のエントロピーが低くデタラメではあり得ない」ことから、やはり何らかの意味を持つ暗号であると考えられている。
野球と其害毒
1911年、新聞紙上に連載されたコラムで「野球がいかに悪影響を与えるか」という内容。
新渡戸稲造や乃木希典など、当時の著名人が真剣に論じている。
「新しいものは批判的にしか捉えられない」人が、いつの時代も一定数はいるものだ。
穏健なる提案
ガリバー旅行記などを著したジョナサン・スウィフトが、故郷アイルランドの貧困問題に対して寄せた政治的論文。
当時、アイルランドでは毎年12万人の子供が貧困層において生まれていたが、就労年齢まで育成することが不可能で、子殺し・堕胎が絶えなかった。
そこで「満一歳になった赤ん坊を富裕層の食料として高額で販売する」ことを提案した。
これを「穏健なる提案」としたのは当然皮肉だが、その後のアイルランドの状況はこの内容が実際に穏健と思えるほどひどいものだった。
天体の回転について
16世紀半ばに天文学者ニコラウス・コペルニクスが著した学術書。「地球も天体の一つで太陽の周りを動いている」という地動説を展開した。
地球を中心に天体が回っているという「天動説」がキリスト教と結び付けられていた当時の状況下では、なかなかラジカルな内容だったといえる。
コペルニクスの天動説を受け、ケプラー、ガリレオ、ニュートンたちが地動説を推し進めた。
現代人にとって天動説は、科学的視点を持たない「愚かな理論」に思えるだろう。
だが「当時観測できる範囲・精度の中では、天動説も十分精密な理論的整合性を持っていた」ことを忘れるべきではない。
私たちが「最先端の科学」と思っているものも「現時点でみえる範囲の情報から帰納的に導き出したもの」に過ぎず、観測範囲が広がったり精度が上がったりすれば、根底からひっくり返る可能性は十分ある。
私たちが真実だと思っているのは「今みえる範囲では真実だと思える」だけだ。その構造自体はどこまで範囲が広がっても変わらない。
私たちに天動説を笑うことはできない。
非現実の王国で
著者ヘンリー・ダーガーが1910年から60年以上かけて書き上げた、現時点で「世界最長の小説」
本人は作品を世に出していなかったが、養老院に入った後に大家が発見し公開した。
主人公である少女たちが自分たちを虐げる大人たちに立ち向かうストーリー。膨大な挿絵も作者本人が手がけた。
妄想力が高い。ラノベの走りか。
フラーレンによる52Kでの超伝導
2000年に、ヤン・ヘンドリック・シェーンたちを中心としたベル研究所メンバーが発表した、高温での超伝導に関する論文。
炭素化合物であるフラーレンで画期的な理論による高温超伝導を成功させたとして、カリスマと持て囃された。
だが誰一人としてシェーンの実験結果を再現できないことから徐々に疑いの目を向けられ、やがて彼の発表が捏造であったことが判明する。
現代の科学は複雑化していて、理論を立てるところから実験、まとめまで全てを一人で行うことは不可能になってきている。
ある程度のところで「〇〇は正しいという前提」としないと、次に進むことができない。
誰もが電子レンジで食べ物を温めるが、その理屈を詳細に説明できる人は多くはないだろう。実は「炎の妖精が頑張ってる」のだと言われても、それを論理的に否定することができるだろうか。
高度な科学はオカルトに近づき「信じること」で実際に機能している。
私たちはすでに魔法の世界に住んでいるのかもしれない。
軟膏を拭うスポンジ/そのスポンジを絞り上げる
17世紀イギリスの異端審問官ウィリアム・フォスターによって書かれた『軟膏を拭うスポンジ』と、同時代の医師ロバート・フラッドが書いた『そのスポンジを絞り上げる』についての項。
「武器軟膏」というのは、剣などの武器で怪我をした場合、傷口でなく傷を与えた武器の方に塗ることで治癒を助ける軟膏のことをいう。
ウィリアム・フォスターはこれを「遠隔で働く力などあり得ず非科学的」だと痛烈に批判した。
批判を受けた医師のロバート・フラッドは、武器軟膏の効果には科学的なエビデンスがあるとして反論した。
実際に「傷口に塗り込む軟膏より武器軟膏の方が傷の悪化を防ぐ効果が高い」ことは、数々の比較実験で確認されていた。
ただこれには「当時の軟膏は不衛生だったため、傷口につけることでかえって悪化させていた」のだというオチがつく。
物の本質について
紀元前1世紀ローマのルクレティウスが著した書。科学と哲学が未分化だった時代で、本書も「物理学+啓蒙書」のような体裁になっている。
紀元前に書かれたとは思えない先進的な内容で
・物体はそれ以上分割不可能な原子が集まってできている
・空間中の原子は互いにぶつかり合い、真空中を自由に動く
・生き物は世代を経て試行することで、より生存に適した形質を獲得する
・死後の世界は存在しない
・神が存在するとしても、人間になど頓着しない
・祈りや神話は無意味だが、精神安定に役立つなら否定はしない
などなど。
この先進的な思想が、
マキャベリ、ガリレオ、ニュートン、ダーウィン、ボッティチェリ、トマス・ジェファーソンらに与えて影響について解説している。
サンゴルスキーの『ルバイヤート』
サンゴルスキーの『ルバイヤート』は、1911年に本の装丁を手掛けるサンゴルスキー社が作った縫製装丁の豪華本。
元々の『ルバイヤート』は、11世紀ペルシアの詩人、ウマル・ハイヤームが著した詩集で、単純に「酒を飲む喜び」を称えたものだった。
だが、サンゴルスキー装丁の『ルバイヤート』は、その本自体が、その後数奇な運命を辿ることになる。
椿井文書
19世紀前半、江戸時代後期に椿井政隆が作った数百冊の古文書。
内容はほぼ偽造だが、
・実在する歴史資料の不測点を補う形で自然だった
・数多くの資料同士の整合性に気を使い矛盾がなかった
ことから広く信じられた。
そして何よりも「依頼者が求めている内容」を偽造していたことが、椿井文書が広がり定着した最大の理由。
例えば神社にとって「由緒正しさ」を補強する史料が見つかったのであれば、それは本物と考えたい。
椿井文書に限らず、各地に残る伝説には近代以降に創作されたものが少なからず存在する。
自分の住む場所が「素晴らしい歴史を持っていてほしい」という思いは強く、偽物が浸透する土壌となる。
嘘をつくなら、何よりも「相手の思いに沿っていくのが効果的」なのだ。
ビリティスの歌
古代ギリシアのビリティスが、彼女自身の墓所に花文字で書き残したとされる散文詩。フランスの小説家ピエール・ルイスがフランス語訳したと発表したことで広く読まれた。
ビリティス自身の少女時代から晩年までを三部構成で描いた作品で、奔放でエロチックな内容だった。
本書が奇書とされるのは、本の内容ではなく、その書かれた経緯にある。
月世界旅行
19世紀半ば、フランスのジュール・ヴェルヌによって書かれた小説。『地球から月へ』『月世界へ行く』の2作で構成される。
大砲の弾に人間をくくりつけ月に送り込むという、現代では荒唐無稽にみえてしまう設定だ。
だが、大砲は当時の最新テクノロジーで、SF(サイエンス・フィクション)の素材として不自然ではなかった。むしろ、その当時に得ることができた情報の中で極めて精密に論理を組み立てていたことに驚かされる。
例えば第二宇宙速度(地球の重力を振り切るための速度)は11.2km /秒 だが、ヴェルヌは独自計算で10.92km/秒という近似値にたどり着いている。
専門の科学者でもない小説家が「頭の中で組み立てるファンタジー」にもかかわらず、精度が高いのはそれだけ妄想の密度が高かったということだろう。
優れたファンタジー作家は、その妄想の熱量が圧倒的なのだ。
そしてヴェルヌのファンタジーは実際の宇宙開発に影響を与えていく。
ロケットの父と呼ばれるロシアの ツィオルコフスキー、アメリカのロケット開発の先駆者となったゴダード、ナチスドイツのミサイル開発に関わり、戦後にソ連のロケット開発を推し進めたブラウンなど、宇宙開発に関わった人々の話を紹介していく。
フィクションの力の強さを感じさせる。