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武士道ジェネレーション

武士道ジェネレーション

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あらすじ

「武士道シックスティーン」から続くシリーズ第4弾で、多分本作が締めくくり。
高校生だった磯山香織と甲本早苗が大学を卒業し、それぞれの人生を歩み出す姿を描く。

香織は高校卒業後に大学に通い、それまでと変わらず剣道に打ち込む。桐谷道場の師範である玄明が体調をくずしたため、玄明の遠い親戚であり警察で働いている沢谷と一緒に、子供たちに指導を行っていた。

一方、早苗は剣道から引退し日本文化を学ぶために浪人し、香織からの依頼で桐谷道場の運営を助けていた。そこで道場の沢谷と親しくなり徐々に関係を深めていく。
その後、めでたく志望大学に入学し日本文化を学び始めた早苗だが、希望していた教授の講義を受けることができず、自虐史観を持つ教員に失望し、韓国人留学生との衝突で意気消沈していた。

そのころ香織は、やはり剣道に明け暮れて勉学には身の入らず、在学中に教職免許を取ることができなかった。結局、卒業後は桐谷道場で働きながら、剣道家として素晴らしい実績を上げていた。

早苗は大学卒業後、母校である東松学園の事務員として働き始める。
その後すぐに桐谷道場の沢谷と結婚し、道場の運営にも関わるようになっていった。

桐谷道場師範の玄明は、沢谷が警察を辞めることを認めず、香織も師範とすることはできないとして、自分の代で道場を閉めると宣言する。
道場を維持させたい香織は、徐々に運営を「実効支配」していくことを計画した。

香織の意を汲んだ沢谷は、桐谷道場に伝わる「シカケ」と「オサメ」を伝授することを決意する。
「シカケ」とは「蹴りでも投げ技でも、何でもありの攻め」で、「オサメ」は剣道の範囲内でシカケを捌く技術だった。
香織は満身創痍になりながら「シカケ」と「オサメ」を習得していく。

感想・考察

香織と早苗のかけ合いを見るのが楽しい「さわやか青春物語」というベースは変わらないが、「武士道」への思いがずっと強く政治的な話まで踏み込んでいる。

自虐史観から抜け出し日本の精神性に誇りを取り戻すこと。
「武士道」争いをおさめる精神であり、守りたいものを守り切るためには「圧倒的な力」を「冷静に使いこなしていく」ことがあること。

「相手の力を制するためには、それを上回る力が必要」というのが事実なのだろう。だが高度な自制が伴わないと単なる力の競争になってしまう。

例えば「銃規制」を例に考えると、理想形は「銃を規制しないこと」なのだと思う。銃が規制されれば「軍や警察など規制から逃れた一部の人々」だけが圧倒的な力を持ち、民衆は抵抗できない。
だが、例えばアメリカの実情を見ると銃が規制されないことで理不尽な殺人が増えている。結果だけをみれば銃を規制している他の大多数の地域の方が「マシ」だと言えるだろう。
また冷戦時代の核軍拡をみても、力の競争は放っておけばいくらでも拡大しリスクを増やすだけだ。

だからこそ、力には高度な自制心が伴わなければいけない。本作で出てくる「オサメ」のように「争いをおさめる」ために力を使う精神だ。
「オサメ」の精神が抜けてしまえば、力はいくらでも拡大し暴走する。

先述した銃規制でも核軍拡でも、現実的には力は暴走するのが普通なのだろう。世の中に「オサメ」の精神を徹底させるのはあまりにも難しい。

それでも、誇りをもって「武士道」の精神を広げていこうという、メッセージが伝わってきた。

誉田哲也氏は「ストロベリーナイト」や「ジウ」のシリーズでは、徹底的にグロい描写で力の恐ろしさと、力に屈せざるを得ない屈辱を暗く描いていたが、この「武士道」シリーズでは、裏面から希望をもった展開にしている。
ひきだしの多さには驚嘆させられる。

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