流浪の月
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本を読むのが好きです。
自分の知らない生き方を見せてくれる小説や、自分の常識を壊してくれる哲学が特に好きで、「人はかくあるべし」と諭すような古典などは苦手です。
多様性があると知ることで、理解し得ない他者がいることを前提に生きられるし、自分自身の選択肢を増やすことも出来る。新しいもの、知らないもの、驚くようなものを発見できる読書が好きなのです。
そういう観点から本書は興味深いものでした。
「ランドセルじゃなくカータブル、アイスが夕食、寝っ転がってデリバリピザ」のような些細な奔放さから始まって、「誘拐犯と被害者の関係性だって個別具体的にしか分からない」というレベルまで「人はそれぞれ違うということをどれだけ受け入れられるか」という問いかけが続きます。
この感じ、気持ち悪いと感じる人も多いだろうなとは思います。
皆がランドセルなのに一人だけカータブルだったり、アイスが夕食であることの「客観的で論理的な問題点」を挙げるのは簡単なことです。他人同士の関係を個別具体的に理解するコストをかけられないことも理解できます。
でもそういう「分かりやすい正しさ」を息苦しく感じるている人もいる、ということが届いてほしい。
相手を型にはめて理解したつもりになる人は、本当にイヤ。
あらすじ
奔放な両親の元で自由に育った更紗。父が死に母が離れ、10歳で伯母に引き取られた。
公園で時間を潰していた更紗は大学生の文に声をかけられ、彼の家に着いて行く。
伯母の家に帰るのを躊躇う更紗はずっと文の家にいたいと願い、文はそれを受け入れた。
更紗は自分を受け入れてくれる文に癒しを求め、「育児書に書いてある通り」に育てられた文は更紗の奔放さに刺激を受ける。世間では幼女誘拐事件として騒がれていたが、更紗と文は二人の生活を楽しんでいた。
だがある日、外出先で文は逮捕され更紗は被害者として保護される。二人の関係は強制終了させられた。
その後、更紗は伯母の家を出て養護施設で育つ。周囲に受け入れられない自分自身と折り合いをつけながら暮らし、就職して恋人と暮らしていた。
だが事件から15年後のある日、更紗は偶然入ったカフェで文を見つける。