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失われた過去と未来の犯罪

失われた過去と未来の犯罪

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あらすじ

全人類が長期記憶を維持できなくなってしまったら何が起こるか。
壮大な思考実験のSF。

第1章では、人類が長期記憶を失う経緯と、それを補う外部記憶装置の開発が語られる。
第2章では、記憶を外出しした場合に起こり得る問題を、物語形式で提示する。

第1章
長期記憶の喪失と外部記憶装置の開発

ある日、世界で一斉に記憶障害が起きる。
誰もが10分前後を超えて記憶を保持できなくなってしまった。

主人公の女子高生 結城梨乃は、比較的早く状況を把握し、メモに状況を書き出すことで状況に対処しようとした。

原子力発電所に勤める梨乃の父親も、記憶を保持できなくなったことで、小さなトラブルが大事故にまで発展しそうになる。
システムに残されたデータを分析し、すんでのところで危機を回避した。

人類が文明を失う危機にあると感じた梨乃は「第一動者(プライム・ムーヴァーズ)」として、記憶保持の方法を考え出していった。

やがて、小型の外部記憶装置を脳と接続させ、長期記憶を保持する仕組みが作られ、広く普及していった。

第2章
外部記憶装置の引き起こす問題

  • メモリの入れ違い

最初の問題例は外部記憶装置の入れ違いで、とある男女がメモリを刺し間違え、人格まで交換されてしまったケースを描く。

人格は「脳などの身体=ハードウェア」と「記憶=ソフトウェア」の両方が重なって作られる。記憶の外部化は様々な問題を引き起こす可能性がある。

  • 能力の借用と人格の交換

次の例では、成績の良くない子供に替え玉受験させるため、成績優秀者のメモリを一時的に借りた父親の話。

父親は「身体」こそが息子の本体だと考え、優秀なメモリを奪って、ずっと息子に装着させたままにした。
実際には息子の人格は、ほぼメモリの持ち主のものとなっていたが、父親は一時的な混乱だと考えそのまま放置した。

息子は他人の人生を生きることとなった。

  • 記憶の複製

外部記憶装置に問題が起きる可能性があるという連絡を受け、双子の姉妹はメモリの交換にいった。そこでメモリコピーの手違いが起き、姉妹の両方に姉の記憶が移植されてしまう。

「妹の身体に入った方の姉の人格」は、相手の冗談だと考え、そのまま数か月を過ごしてしまう。
やがて、双方に「姉の人格」が宿っていることに気づくが、元に戻すためには二つに分かれた「姉の人格」のどちらか一方を抹消しなければならない。

「妹の身体に入った方の姉の人格」にとっても数か月の独立した人生があり、メモリを抹消されることは独立人格の死を意味するものだった。

  • 死者の復活

4人家族がドライブしている最中、対向車に衝突されてしまう。

父は重傷を負って死に直面していることを自覚していた。その時、目の前にいた娘は外部メモリを破損していていることに気づく。
家族を失い記憶も失う娘を不憫に思い、また家族を支えることが必要だと考え、父は自分のメモリを娘に刺して、父の記憶をもって娘として生きることを決めた。

妻と息子は、事故の衝撃で川に投げ出されていた。
息子の身体は重傷を負い死んでしまったが、妻は一命をとりとめた。

娘の身体に宿った父親の人格は、事故から生還した妻と共に新たな生活を始める。成長するに従い、娘としての人生と父親としての人生が融合し解けていった。

  • 人格の恣意的な運用

市役所員の女性は「外部記憶装置の使用を拒否する人たちの集落」で、外部装置の導入を説得することを命じられる。

何度通っても集落の人々は彼女の説得に応じなかった。
だが、古い記憶を持つ世代が死に絶え、生まれたときから長期記憶を持たない世代だけになると、生活を維持することが難しくなっていった。

彼女は自分のメモリを集落の人々に貸し与え、生活を回していこうと考えた。

  • イタコのビジネス化

人が死んだとき、その人のメモリも処分される決まりになっていた。
だが親しい者の死を受け入れられず、メモリを隠し持つ人も後を絶たなかった。

死者のメモリを「再生」するための道具として「イタコ」が職業化する。

感想

人格は、身体に宿るのか、記憶の蓄積なのか。
SF小説の体だが、哲学的な思索を含んだリアルで生々しい問題提起の書だ。

人間の記憶が外部記憶装置に保持される時代が、すぐそこまで迫っているのは間違いない。
そこでは「人の本質とは何なのか」が問われることになるだろう。

本書では「人格のベースは記憶の蓄積にある」という立場だが、実際には「身体性」が人格を司る部分も相当あるのだと思う。

ある意味では、現状でも人類はすでに記憶の一部を外出ししているといえる。
現時点では「脳」にある記憶が「人格」の構成要素のほとんどを占めている。だが「書いた文章」や「記録した動画」が、その人の人格の一部を構成するともいえる。

外部記憶とダイレクトにつながり、フィードバックを直接受けられるようになった時「人格」の構成要素が拡張されるのだろう。


また、「外部記憶装置が使われ始めたら何が起こるのか」という思考実験も、深く考えられていて興味深い。
・メモリの入れ違いが起こったらどうなるのか。
・能力の貸し借りが可能になると何が起きるのか。
・メモリが複製されてしまったら、人格が複製されることになるのか。
・メモリは長く使える分、寿命があり複製不可能な身体には希少性が出てくる「身体を貸す」ビジネスが生まれた場合の倫理規定はどうなるのか。
などなど、問題になりうるし、対策が必要なのだと思う。

自分は、人格を外部保存して永遠の命を持ちたいと、かなり真剣に考えている。
リスクにおびえず、脳に電極を差し込むパイオニアになりたい。

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