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玩具修理者

玩具修理者

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あらすじ

表題作を含む2つの短編集。

  • 玩具修理者

いつもサングラスをかけている女性が、その理由を語る。

彼女は子どもの頃、ある暑い夏の日に、弟と一緒に階段から落ちてしまう。
彼女自身の顔に深い傷を負い、弟は息をしなくなっていた。

親に叱られることを恐れた彼女は、周囲の子供たちが「ようぐそうとほうとふ」と呼ぶ玩具修理者に、弟の修理を頼みに行った。

玩具修理者は、直す玩具を一度バラバラに分解してから組み立て直す。
弟は髪の毛一本、皮膚の一枚一枚までバラされ、一緒に修理を依頼されたマシンガンのおもちゃの部品や、死んだ猫の内蔵と一緒に並べられた。
深い怪我を負った彼女自身も分解され、途中で意識を失っていった。

  • 酔歩する男

血沼壮仕(ちぬま・そうじ)は、見知らぬ男から「私を覚えておいでじゃありませんか?」と声をかけられた。

小竹田丈夫(しのだ・たけお)と名乗るその男は、血沼のことをよく知っていたが「血沼が小竹田のことを覚えていないのであれば、最初から二人に面識はなかった」のだという。

意味が分からず戸惑う血沼に、小竹田は不思議な話をする。

小竹田と血沼は大学時代、親友同士だった。
やがて小竹田は、菟原手児奈(うない・てこな)という女性と付き合い始める。彼女は、色を味わい音を感じる。人と異なる感性を持つ女性だった。

小竹田は手児奈を深く愛していたが、彼女に近づく男性全てに嫉妬し、やがてヤケを起こし彼女と別れてしまった。

その後、手児奈は血沼と付き合い始めたのだという。

小竹田の「まだ手児奈を愛している」というメッセージを聞いた彼女は、小竹たと血沼の二人と話したいといった。二人がその場所に向かうと、手児奈は電車に身を投げて死んでしまった。

それから血沼は手児奈を取り戻すことに人生の全てを賭けた。

小竹田は医学部への転入に成功し、医者となってクローン技術を追求したが、手児奈のクローンを作り上げることはなかった。

血沼は手児奈を甦らせる別の方法を追いかけた。
「時間の流れは人間の意識が作り上げたフィクション」であると見抜いた血沼は、脳の中で「時間感覚」を司る部分を破壊し、タイムトラベルすることを目指した。

血沼は小竹田の時間感覚を壊し、タイムトラベルをさせることに成功した。

時間感覚を司る部位が壊れても、脳は他の感覚をもとに時間を感じようとする。そのため、小竹田は意識のある間は時間感覚を維持できたが、眠りに落ちると時間の連続を失い、別の時間に飛ばされる。

この夜の小竹田は、何万回も時間を漂った後、血沼に出会ったのだという。
だがここは「血沼は小竹田に出会っていない」だった。

小竹田の話を聞いた血沼は、自分の時間感覚に疑いを持ち始めた。

感想

小林泰三さんの作品は「哲学寄りのSF」だ。

人間と限りなく精密な機械に違いはあるのか。『玩具修理者』は「生物と無生物の境界」を問う作品。

同じ著者の『失われた過去と未来の犯罪』では「自我は、記憶にあるのか」という視点から人間存在の本質に迫ろうとしていたが、本作では、身体性の側から人間の本質を問うている。

人間の体は、最終的には精密に作られた機械と変わらない。意識や自我も、突き詰めれば電子回路を流れる情報と区別できない。

それでも、人は意識や自我に特別な意味を持たせているし、そうでなければ生きていけない。

その隙間をついた怖さがこの作品のキモだ。

ピトーの「玩具修理者」の元ネタがこの作品だと知っていれば、ゴンもカイトが「もう死んでいる」ことにもう少し早く気づいていただろう。

『酔歩する男』は時間を問う話だ。傑作だと思う。
「未来が現在を経て過去になる」という時間感覚や、「原因があるから結果がある」という因果律は、脳が生み出したフィクションだという話だ。

限られた理解力しか持たないわれわれの脳があまりにも複雑な世界に対面した時に壊れてしまわないために脳自身が設定した安全装置ーそれが因果律なのです。

カルロ・ロヴェッリたちが提唱する「ループ量子重力理論」に近い立場。
自分たちの視点からは「たまたまそう見えている」だけで、時間の流れも因果律も「絶対的なもの」ではない。

「もし生身の人間に、その主観的位置を変えることができたら、どのように見えるのか」という思考実験を、小説としてのストーリーに練り上げている。

面白い。

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