横浜1963
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あらすじ
1963年の横浜を舞台としたミステリ。
7月上旬、女性の遺体が横浜湾口で発見された。
遺体の爪から金髪が発見されたため、白人系による犯行だと目される。
神奈川県警の ソニー沢田は、米国人の父と日本人の母を持つハーフだった。外国人絡みの事件捜査を担当するソニーは、この事件の担当となる。
調査を進めるうち、本件は米軍関係者の犯行である可能性が見えてきた。
だが当時の日米関係では、日本の司法権は米軍関係者に届かず、警察上層部も捜査の中止を求めてきた。
それでも、被害者に母親の人生を重ねてみたソニーは捜査を継続する。
横須賀米軍基地に所属し巡回説教師として働くアトキンス中佐が容疑者として浮かび上がってきた。
警察での調査が打ち切られ、ソニーは横須賀米軍基地内の NIS(軍内犯罪調査憲兵隊)の担当官 ショーン・坂口に話をする。
欧米系の容姿ながら日本国籍を持つソニーとは逆に、ショーンは日系二世の両親から生まれ日本人の顔をした米国人だった。
数日後、米兵が起こした事件のため、ショーンは佐世保に出張した。
そこで数か月前に、横浜での事件と極めて似た状況で日本人女性が殺される事件があったことを聞く。またその時期にアトキンス中佐も佐世保にいたことが確認された。
9月に入り、横浜山手のフランス山で女性が殺害される事件が起きた。
今回の事件の遺体も、前回湾口で発見されたものと状況が酷似していた。
アトキンス中佐が写っている写真をみて「間違いない」という目撃証言も取れた。
日米地位協定のため、それ以上踏み込むことはできなかったが、アトキンス中佐は日本を離れ、当時継続していたベトナム戦争の地に送られ、ショーンも監視の意味合いで同行させられた。
J・F・ケネディが暗殺された11月22日、ソニーとショーンはともに「ある違和感」から別の真相にたどり着いた。
感想
1960年代の横浜の情景描写が読みたくて本書を手に取った。
かつての横浜住人で横浜が好きだ。
横浜には歴史を感じさせる風景が数多く残っている。かつての状況を知りたくてYouTubeで昭和の街並みを見ることもある。
だが今回、文章による昭和の横浜の描写に改めて感動した。
自分視点のVRというべきか、自分が知っている現代の横浜の風景をベースに当時の雰囲気が重なる感じがいい。雑然とした雰囲気に酔うことができた。
正直「歴史小説」ジャンルは好きではないのだけれど「自分が生きている時代との地続き感」があると面白いのかもしれない。
また、本書の中心的テーマになっている1960年代の人種意識も現代との対比でみると興味深い。
1960年代、「欧米の文化を吸収しよう」という思いは現代より強く、一方で「外国と日本」の間に歴然たる壁があった時代。
日本人が持つ「外人への憧れと異物感」が凝縮されたのが主人公ソニーだ。
現代では海外とのコミュニケーションが桁違いに広がっている。
インターネットでは国境を意識しないし、実際の人の行き来も増えている。
今、日本でも街を歩けば外国人がいることが当たり前になっている。
「異文化」がすぐ横にあることが、加速しているのは間違いない。
情報・交通の発展が後押しする、この勢いは止まらないだろう。
一方で、もう一人の主人公ショーンが感じているのは「白人社会における有色人種への差別」。ソニーの場合と逆ベクトルだ。
こちらの方は判断が難しい。
トランプ大統領の任期は間もなく終わるが、白人の優越を明確に押し出している彼が、多人種国家であるアメリカで受け入れられたことは「白人主義」の根強さを表しているのだろう。
「人種」の問題は文化以上に土着的で、ずっとゆっくりとしか変わらないのかもしれない。
香港では全く感じなかったが、オランダでは「有色人種」であることを意識させられる機会は多い。
「国境」は意図的に定められたもので、ある意味「フィクション」だから、意識づけが変われば変化していく。
情報交流のスピードが上がっていけば、文化の国境が溶けるのにそれほど時間は要しないだろう。
だが「身体性」に基づく「人種」は、生々しくリアリティーが高い。
直接的な交流が加速したとしても、人種的なボーダーが溶けるには数世代が必要で、百年単位の話になる。
もうちょっと即物的にいうと、
文化的には、「日本のアニメも、アメリカの映画も、イギリスの料理も、中国のITも『良いものは良い』」という是々非々の判断ができるようになっている。
でも「迫力ありすぎる白人女子は無理、やっぱり黒髪のすらっとした女子が最高、メガネをかけていると更にいい」という身体性に基づいた人種感覚は消すのが難しい。
ということだ。
ただ、人種感覚自体の上書きに時間がかかったとしても、そこに貼りついてる「文化的ラベル」を変えていくことは、もう少し早くできるのかもしれない。
なかなか興味深く考えさせられる話でだった。