15歳のテロリスト
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「新宿駅に爆弾を仕掛けた」
自ら実名を明かしてのテロ予告の意図が判明するにつれ、少年犯罪に関わった人たちの苦しみと戦いが明らかになっていく、心揺さぶる物語だ。巧妙に仕組まれた伏線が回収されていくのも気持ちいい。
そしてその物語に埋め込む形で「少年犯罪にまつわる問題点」を提起している。
まずは「少年法が真実追求を阻害している」可能性だ。
著者は現行の少年法には問題が多いと感じているが、作者のポイントは「厳罰化」ではない。
「厳罰化」による犯罪抑止効果はあるかもしれないが、現状でも民事の賠償責任や本人や家族への社会的な制裁まで考えれば、重犯罪に対してはそれなりのペナルティが課せられているといえる。「未成年に対する死刑」がないのは世界的な潮流でもあるし、無理に罰則を強化するよりは、現状で「少年犯罪だって割りに合わない」ことが周知されれば、十分な抑止効果が期待できる、と言いたいのだろう。
とはいえ成人犯罪と比較して刑事罰は軽い。
それゆえに、少年犯罪では犯罪捜査が軽く扱われていないかというのが作者の懸念だ。
先の少年法改正までは検察が関与しなかったこともあり「大した処罰じゃないから時間をかけて調べるまでもない」ということはなかったのか。「処罰されない少年に罪を着せた冤罪」はなかったのか。
刑事罰が軽いこと自体ではなく、その影響で「真実の追求」が疎かになることが一番の問題だと訴えている。
もうひとつテーマになっているのが「正義の声」の気持ち悪さだ。
人は「自分は正しい」と考えたときに判断力を失う。
「悪い人間」をこらしめるのは「正しい行い」だという大義名分があれば、信じられないくらい非理性的な行動がとられる。
犯罪者は報いを受けるべきだ、少年犯罪であればその親にも責任がある、という感覚は「正しい」のかもしれない。
私だって「いじめ加害者」や「事故を車のせいにする上級国民」には怒りを感じるし、「制裁すべき」という声に同意する。
だけど「悪を憎む」激情から建設的な考えは生まれない。
激しい感情は人として避けることはできない。それでも、それがいかに危険で非建設的な行為なのか意識する必要があるのだと思う。
「俺は正しい、お前は間違っている」と思ったときは、動き出す前に一呼吸置くようにしてみよう。
あらすじ
15歳の少年、渡辺篤人が自分の実名を明かし、動画投稿で爆弾テロを予告した。
人々はテロに怯え、首都圏の交通は混乱する。
雑誌記者の安藤は篤人を知っていた。
安藤はかつて恋人を未成年の男に殺されたこともあり、少年犯罪を追いかけていた。そして篤人が少年法改定を推める議員に直訴していたことを記憶していた。
事件の数ヶ月前の雪の日、篤人は雪の中財布をなくした少女アズサに声をかけた。
篤人は数時間かけて財布を見つけ、彼女の家に届ける。篤人とアズサは親しくなり頻繁に話をするようになり、アズサには行方知れずとなった兄がいることを聞いた。
安藤記者は、篤人の足跡を追う。
篤人は祖母と妹を殺した実行犯の居場所を突き止める。当時未成年だった犯人は短期間で少年院を出所していた。
そこで篤人は彼に犯行を指示した人間がいたことを知る。
篤人は警察から逃げながら犯行予告を繰り返していった。
実名を顔を晒しての犯行予告は前代未聞だった。篤人は何を意図していたのだろうか。