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それって本当に自分の意思なのかな?
あなたは本当にその腕時計が欲しかったの?

ネットなどテクノロジーの進歩がもたらした社会の変化を題材とした17の短編集。

シニカルでコミカルな描かれ方で、SFコメディっぽいノリだけれど、そのリアル感に背筋が寒くなる話もあった。

いくつか印象に残った話を紹介したい。

あらすじ と 感想

・猫を持ち上げるな

ブログにアップされた猫を持ち上げた動画が「動物虐待ではないか」という物議を醸すという話。

ささいなことで主義主張がぶつかり騒ぎになるのはネットあるあるだ。

でもむしろ「大騒ぎだと思っていたことが周囲には広がっていない」という、「ネット盛り上がりの局所性」が本編の趣旨だろう。

自分の興味がフィードバックされる仕組みがあるから、関心を持っている情報がどんどん集まってくる。でも一歩引いた目で見ると、そんなことは気にしてない、気づいてすらいない人が大半だったりする。

ネットで得る情報には仕組み上バイアスがかかることを認識し、自分の立ち位置を俯瞰しないと、おかしなことになってしまう。

まあこれは、ネットの世界に限ったことではないけれど。

・この商品を買っている人が買っている商品を買っている人は

モスマン社のオススメ商品に囲まれて暮らす主人公。かつての恋人が、全く同じ商品を選んでいることを知り、自分の選択が自分の意思によるモノなのか疑問を感じ始めた。

現時点でのターゲット広告はお話にならないほど精度が低い。

Amazonのオススメや関連商品を買うことはないいし、Youtubeの動画広告に至っては嫌悪感を覚えるようなものばかりだ。
なぜ私に育毛剤が推奨されるのか理解不能だ。


ただYoutubeは、あまりに広告が鬱陶しいのでプレミアム登録してしまったりしている。逆に戦略にはまっているのかもしれない、、


世界最大の広告会社となったGoogleが「広告を見るのは不快」ということを前提にしたビジネスモデルを作り上げているのは、ある意味すごい。

・天才小説家・北美山修介の秘密

著名な作家が実は複数の人による分業だったことに失望する女子高生の話。

ゴーストライター程度ではなくて、複数者での分業が徹底している。
ストーリー構成、会話、情景描写などユニットごとに担当者を分け、プロジェクトマネジメントを行う担当が全体の進捗を管理する。

効率を高め質を上げていくために「分業」が有効なのは間違いない。

例えば私が勤めていた会社でも、そこそこの規模に成長する過程で多くのことが分業化されていった。

最初の頃は、顧客を見つけるところから始まって、要求仕様を聞いて開発する技術担当と打ち合わせ、納期を調整して納品し、クレーム対応までこなすなど、一人の営業担当が一つの顧客、プロジェクトを一貫して見ていた。

規模が拡大していくと、マーケティング部門が見込み客を拾い、確度が高まったところで営業がアプローチし、全体の情報から商品開発部門が製品を企画し、実際の製造は外注に委託し、というように分業がどんどんと進んでいった。

効率は間違いなく高まったし、それぞれの担当が専門性を高めていくので質も上がったのだと思う。常に右肩上がりの成長を求められる資本主義下の企業として分業化は極めて当然の判断だ。

一方、働く立場からは「仕事の意義」が見えにくくなる。

自分のやったことがお客にどう届いているのか、場合によっては社内の他部門にどう届いているのかすら見えなくなる。

この話の主人公は、分業体制の中でそれなりの達成感を味わうようになりながらも、「丸ごと自分の作品」へのこだわりを捨てない。

ちょっと希望を感じた。

・習字の授業

学校での習字の時間、生徒たちはコピペの技術を学ぶ。

ごく短いショートショートだが印象深い。

文豪の作品からコピペした「明日」は重々しく、広告からコピペした「明日」には活力を感じる。

どこからコピーした文字なのか、ということで、デジタルな文字情報にアナログな意味を見出すのは、シニカルで滑稽だ。

でも私たちは「全てのものに意味を貼り付けないと不安」に感じてしまう。

だからきっと、その状況に自分が置かれれば、滑稽とは感じられないのだろう。

・亀ヶ谷典久の動向を見守るスレ

何の変哲もないサラリーマン亀ヶ谷典久の動向を描写するスレを切り取る形の物語。

人間はフィクションを楽しむことができるから、無意味なものでもフォーマットが決まっていれば盛り上がることができる。

テクノロジーの進歩による「新しいフィクション」は滑稽に見えるけれど、宗教や国家など「歴史あるフィクション」も実は同じくらい滑稽なんじゃないだろうか。

上述の『習字の授業』と同じく、そんなことを感じさせる。

・GIF FILE

自分が「フレーム数74、3.7秒のGIFファイル」の登場人物であることに気づいた男が、永遠の繰り返しの中で足掻き続ける。

ニーチェのいう「永劫回帰」を思い出した。
人生が「永遠に無意味に繰り返すもの」だとしたときに、それでも人生を「良いもの」だと肯定しようとニーチェはいう。

3.4秒のGIFの世界というのはニーチェ以上に「無意味な世界の虚しさ」を感じさせる設定で、その分「人生を肯定して生きる」ことの尊さが伝わってくる。

名作だと思う。

・最後の1日

実家に帰省した男子大学生の、ありふれた人生最後の1日を描く。

ストーリー自体には大した盛り上がりもないんだけれど、主人公の描写があまりにもリアルで印象的だった。

ソシャゲのガチャに一喜一憂したり、数だけ増えたSNSフォロワーに淡々と反応したり。自分の頭で考えて判断する労力を避ける生き方だ。

そういう「思考の先延ばし癖」は、ネット上だけでなく、リアルな生活も支配する。

バイト先でのちょっとしたトラブルでも、主体的な行動は取らず、リスクが最小限になる方向に流れていく。

まるで自分自身を見ているような描写のリアルさ。

怖い話だった。

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