読書について
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SNSを炎上させちゃう「残念なオジサン」っぽくて親近感。
「自分の頭で考えろ」とか「文章では主張を明確にして無駄を省け」とか、さすがだと感じる部分も多い。
一方で「新しい本はほぼ悪書!本は古典が至高!」とか「単語を略して現代風を気取るな!」とか、匿名の批判者に顔真っ赤にして反論したりとか、現代にもいる「残念なオジサン」感満載で笑える。
200年近く前の人物を、やけに身近に感じた。
要約
要約というより、面白かった部分のピックアップです。
自分の頭で考える
とにもかくにも、自分の頭で考えることが大事だという。
本を読むことは「他人の思考を流し込む」ことで、それだけでは役に立たない。真に価値があるのは「自分の頭で、自分自身のために考えたことだけ」だ。
「たくさん数があっても整理されていない蔵書より、ほどよい冊数で、きちんと整理されている蔵書の方が、ずっと役に立つ」といい、博覧強記の多読家を軽蔑している。
著述と文体について
匿名で批判する人を徹底的に嫌悪している。
「信じがたいことだが、匿名の陰で身の安全がはかれるとなると、連中は無礼きわまりなく、ひるむことなくペンでどんな悪事でもくりだす」のだという。うーん、現代っぽい。
「名乗りでよ、ごろつき。さもなくば沈黙を守れ」とか、SNSで熱くなっちゃうパターン。今ショーペンハウワーがいたら壮絶なバトルが見れただろう。
主張のはっきりしない文章に対しても手厳しい。
自分の頭で考えることを重視していて、ちゃんと考えてるなら飾らずはっきりとした主張ができるはずだという。
わかりくい文章にはひたすら辛辣で、なんならヘーゲルにまでケンカうってる。
全人類の中でとくに厚かましいヘーゲルは、「これこそ高級な文体だと勝手に想定した書き方、例えばひたすら学術的な書き方に精を出すが、その思想ゼロの、延々と紡ぎ出される複雑な文章構造の麻酔作用に、読み手は死ぬほど苛まれる」のだという。
「あれやこれや手を尽くして引き伸ばそうとするせいで、本当は何を言いたいのか、分かりにくいことがよくある。おまけに言葉を重ね、複雑な構造の文章を書き散らし、自分では何も考えていないくせに、他の人が考えてくれるだろうと虫のよい期待をかける」とか、庵野への悪口はいい加減にしてほしい。
さらに言葉の使い方にもうるさい。
「前綴り」をなくし文字数を減らした「現代風」な言い回しが大切なものを失わせているのだという。ドイツ語の「前綴り」というのはよくわからないけれど、「ら抜き言葉」の合理性に馴染んでる自分とは相容れないだろう。
多くの例を挙げて、徹底的に怒りを発散している。
「冗長な表現は避け、読者に時間・労力・根気の無駄遣いをさせてはならない」といって簡潔な文章を推すショーペンハウワーをして、これだけの文量を書かせるのだから「手間ひまかけるだけの価値がある」のだろう。
読書について
多読するより読むべき本を厳選しろ、という。
価値があるのは「自分の頭で考えること」だとして、多読を否定し自分の血肉になる読書を推奨している。
そのため「悪書から被るものはどんなに少なくとも、少なすぎることはなく、良書はどんなに頻繁に読んでも、読み過ぎることはない」として、選書の大切さを強調している。
とはいえ、選書の基準は完全に主観的だ。
「あらゆる種類の高貴でたぐいまれな精神から生まれ作品」を読むべきで、「無数に孵化するハエのような、毎日出版される凡人の駄作」は避けるべきだというが、具体的な選書ガイドにはならない。
強いていえば「時間のふるいを通り抜けた、古いもがはいい」ということになるのだろうか。
基本新しいもの好きな自分とは、この点でも相容れない。。