夢をかなえるゾウ4 ガネーシャと死神
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死が訪れたとき、死ぬのは俺なんだ。だから俺の好きなように生きさせてくれ。
『夢をかなえるゾウ』シリーズの第4弾です。
ガネーシャ自身が語っているように、4作目ともなると「夢をかなえる方法」としてはマンネリ感が出てくるものです。
今作は「余命宣告を受けた男が夢をかなえる方法」という制限時間付きのシチュエーションで、ちょっと切り口を変えて話が進みます。
が、本作の山場は後半の「夢を手放す方法」にありました。
現代社会において「夢を手放す」ことは容易ではありません。
しかし、その夢が、あなたを本質的に幸せにしてくれていないのだとしたら、手放す方法を学ぶ必要があります。
「夢をかなえるゾウ」が「夢を手放すこと」を語る。それが役に立つこともきっとあるのだと思います。
以下、ガネーシャが出した「夢を手放すための課題」を要約します。
①叶えてきた夢を思い出す
「無いから苦しいんじゃない、奪われるから、苦しいんだ」
一番苦しいのは何かが得られないことではありません。一度与えられたものを失うのが一番苦しい。恋人がいない孤独も苦しいかもしれませんが、大切な人と離れてしまうことの方がずっと辛いものです。
でもそれは「一度は夢を叶えられた」ということ。与えられたものに感謝することが大切なのです。
②他者の欠点を受け入れる
「他人に完璧さを求めるということは、自分自身に対しても完璧を求めること」
他者の欠点を受け入れるために必要なのは以下の3つだとガネーシャは言います。
・見る場所を変え
・相手の背景を想像し
・完璧を求めている自分を認識する
完璧へのこだわりから離れることで、自分自身も呪縛から解くことができるのです。
③つながりを意識する時間をもつ
「 石ころも元々は大きな岩で、いつかは砂になる。この世界にあるものは、本当は「同じもの」が変化し続けているだけ。全ては繋がっているけれど、人間はその一部を切り取って名前をつけて、別々のものと認識している」
人は何かを求め必死になったり、失わないよう恐れたりするものです。
でも、すべてのモノは本来はひと繋がりで、人間の主観が切り取って意味づけているに過ぎません。人間関係など無形のものも同じ。主観がどう切り取るか、という問題です。
もちろん一つの人格としてはその主観が決定的に大事で、「自分がどう感じるか」を軽んじることはできません。そしたら「夢をかなえるゾウ」シリーズ全部が否定されちゃうし。
俯瞰したら無意味なことでも、「自分の思い」のために足掻くのが人生の醍醐味なのだと思います。
それでも、ときには俯瞰した視点を持つことが救いになり得る、ということなのでしょう。
④喜怒哀楽を表に出す
「喜怒哀楽を抑えることなく表に出してみい。泣いたり笑ったり、悲しんだり喜んだり、自分が経験する全てのことは、全宇宙の望みなんやからな」
課題3で「世界は同じものが循環しているだけ」という見方を提示されています。それをそのまま素直に受け取ると、「世界は無意味」というニヒリズムに陥ってしまうでしょう。
でもそれでも「意味のあるもの」は何なのか。
最後に残るのは、世界の切り取る主観で、そこに付随する感情、なのだと思います。
「無意味な世界で、感情という経験を楽しむ」
それが人生なのかな、と思いました。
最後にオマケ、死神が挙げた「人間が死に際に後悔する10のこと」です
・本当にやりたいことをやらなかったこと
・健康を大切にしなかったこと
・仕事ばかりしていたこと
・会いたいに人に会いに行かなかったこと
・学ぶべきことを学ばなかったこと
・人を許さなかったこと
・人の意見に耳を貸さなかったこと
・人に感謝の言葉を伝えられなかったこと
・死の準備をしておかなかったこと
・生きた証を残さなかったこと
楽しい経験を重ねたいと思います。