大河の一滴
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あらすじ
五木寛之氏のエッセエイ。書下ろし部分とラジオ放送の内容をまとめたもので構成されている。
エッセイなので”あらすじ”とはならないが、印象に残ったポイントをまとめてみる。
マイナス思考
著者は「人生とは概ね苦しみの連続である」という。仏教も「生老病死」という生きることの苦しみから逃れることに端を発している。
人間存在そのものを悪とみながら「暗闇の中に一条の光を見出す」ことがあれば、本当に素晴らしいことだと考えている。
人に何も期待しないという覚悟があれば、何かが生まれる。
「大河の一滴」という生命観
ルネサンス以来「人間は偉大である」という精神が文明を展開させてきた。
だが著者は「人はみな大河の一滴」だという思いをもっている。雨として降り注ぎ、一滴の水として河を流れ海に向かい、やがて蒸発して空に帰還していく。大きな生命の流れ、永遠の時間に向かって動くリズムの一部なのだと感じている。
自殺は心の内戦
自殺者は2万人を超え(1997年当時)、交通事故による死者よりも多い。
自分の命を大切にできない人は、他人の命を尊重することができない。
人が死ぬ場面を目にする機会は少ない。人の死をリアルに捉えられないことも、命の重さが理解されない一因なのではないか。
人はある瞬間に「死ぬ」のではなく、時間をかけて「死んでいく」ものだ。生まれるまで母胎で10ヶ月を過ごすように、肉体の活動が止まってから半年~1年をかけて、人は社会的にも死んでいく。
黄金時代
著者は第二次世界大戦の終戦を平壌で迎え、引揚げ時に大変な苦労をし、日本に戻ってからも貧しく苦しい生活が続いた。だが振り返って思うと、その頃は生きている実感のある「黄金時代」だったと言う。
戦後、情緒的なものを排除し、現代は「乾いた」時代になってしまったからだと考えている。
寛容の心
免疫は「自己」と「非自己」を厳密に区別するが、非自己に対する「寛容」という機能があることでバランスを保っている。
現代社会は画一的になり異なる他者を排除しようとするが「寛容」の精神を持ち、多様性を認める必要があるのではないかと提言する。
励ましと慰め
人の傷をいやす言葉には「励まし」と「慰め」がある。まだ立ち上がれる気力があるときは、頑張れという「励まし」の言葉が力を持つ。
だが、もう立ち上がる力も無いときには「励まし」の言葉は上滑りしてしまう。そのときは、ただ寄り添い共感する「慰め」が相手を救う。
感想・考察
一歩引いて本書をみると「老いの悲哀」を感じる。
著者は戦後の混乱期に「生きている実感」があり、現代は情緒を失い乾ききっているという。
私は著者が乾ききっているという時代に、生の実感を感じ、情感たっぷりの日々を過ごしていた。そして最近は日常に以前ほどの活気を感じられない。
環境ではなく、主観的な感受性の問題なのは間違いない。
年をとっても瑞々しい感受性を失わないで生きることはできると思う。私はそうしたいと願う。
いずれにせよこの本は「苦しんでいる人を慰める」ためのものだ。
今の自分には合わないと感じる人が多いかもしれないが、世界の残酷さを感じるときには救いになるのだろう。