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十字架のカルテ

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あらすじ

弓削凛は、高校時代の友人が殺人事件の被害者となっていた。犯人は捕まったが心神喪失により不起訴となる。友人を救えなかった凛は罪の意識を背負ことになる。
その後、精神科医となった凛は精神鑑定の第一人者である 影山司の助手となり、犯罪者の精神鑑定に関わっていく。

第1話 闇を覗く
歌舞伎町で通り魔事件を起こした男に統合失調症の症状がみられたため、影山に精神鑑定が依頼される。
男には統合失調症での通院歴があったこと、部屋の荒れた状況や凶器の入手法が行き当たりばったりだったことなどから、凛は男が心神喪失状態にあったと診断したが、影山は違和感を感じ違う可能性を探る。

第2話 母の罪

産後うつの状態にあったと思われる母親が乳児とともに飛び降りた。母親は足の骨折だけで命に別状はなかったが、乳児は死亡していた。だがその後の調査で、乳児の死因は飛び降りではなく、部屋で扼殺されてから飛び降りたものだと判明し送検される。
だが、母親は逮捕後全く言葉を発せず、精神疾患の疑いから影山に精神鑑定が依頼された。
影山の面接で彼女が重度のうつ状態にあったと思われたが、退室直前に彼女は「悪魔に唆された」と言い出した。

第3話 傷の証言
高校を中退後し自室に引きこもっていた青年が、部屋に来た姉をナイフで刺す事件があった。姉の命に別状はなかったが「ぶっ殺してやる」という発言があったことから殺人未遂容疑で尋問が行われた。だが捜査を進めるうち、被疑者に精神疾患があると認められたため、影山に精神鑑定が依頼された。
影山の診断で、被疑者は明らかに心神喪失の状態にあると思われたが、犯行状況とは一致しない。

第4話 時の浸食

被告人が交際相手の女性を殺害した事件で、影山は被告が心神喪失状態ではなかったことを証言した。
被告を弁護する弁護人は、影山が過去に「精神疾患ではない」と判断した人間が数年後に統合失調の診断を受け治療していることから「影山は検察側に有利になるように診断している」と主張した。
凛は影山の診断に間違いがなかったことを証明するため、その男を診断した精神科医に会いに行く。

第5話 闇の貌
31歳の会社員女性が同じ会社の同僚を自室で殺害する事件が発生した。
彼女は気が付いたら目の前に同僚が血まみれで倒れていたという。彼女には「解離性同一性障害」の病歴があり、他人格が現れて殺害した可能性もあるとして、影山に鑑定が依頼された。

彼女は高校生の頃、性的虐待を繰り返す父親を殺害していた。深刻な虐待があったため更生施設で治療を受けて釈放されていた。
また9年前にはバイト仲間の女子高生を殺害していたが、その時には「殺した自分の父親」の人格に支配されていたことが認められ、心神喪失状態で責任能力を問われなかった。

9年前に彼女が殺した女子高生こそが凛の親友で、凛が精神鑑定医を目指したのは、彼女を殺した罪はどこに帰すべきなのかを納得させるためだった。

凛は、自分が9年前の事件の関係者であることを隠して、精神鑑定に加わったが、自分に責任はないという彼女の態度に感情を爆発させてしまう。
影山は「私情を挟むものに精神鑑定医の資格はない」と言い、凛を鑑定から外してしまった。

感想・考察

凶悪犯罪の犯人が「精神疾患があったから責任能力がない」として無罪になるのをみると納得いかない気持ちになる。
タイトルの通り、その罪の「十字架」は誰が負うべきなのか分からなくなる。
ミステリとしての鮮やかさを前面に出しながら、重たいテーマを投げかけている一冊だ。

日本など多くの国の刑法は、犯罪を犯す意思、実際の行為、その結果を要件としている。殺す意思がなければ、人が死んだとしても殺人罪ではなく過失致死だ。過失をコントロールできる意思も喪失していれば罪に問えない。

原則は「人間は自分の行動を理性でコントロールできる。だから、罪に対する罰を明確にすることで、犯罪抑止につながる」という理解だ。
その理屈であれば「心神喪失状態で、行動をコントロールできない人間」の責任は問えないし、罰することに意味はないということになる。

自由意思を考慮せず「人が死んだ」という結果だけを見るならば、幼児が銃を暴発させて殺しても、場合によっては医者が手術に失敗しても殺人の罪を着せることになり、ある意味公平かもしれないが犯罪抑止力としては歪になる。

だが、どこまでが「自由意思」によるものなのかは線引きが難しい。
統合失調症で心神喪失していれば自由意思はなかったと言えるのか。
劣悪な家庭環境、経済環境に追い詰められた行為は自由意思によるものといえるのか。
良心に欠けるサイコパスは遺伝的要因が強いとしても、行動自体を理性でコントロールできるなら自由意思によるものだと判断するのか。
程度問題だとしたらその閾値はどう判断されるのか。

著者は「司法がこういった判断から逃げてきた」という。
人間が「自由意思」でコントロールできている範囲は、思っているよりずっと小さいのかもしれない。
であれば、どのような仕組みが必要なのか、考えていく必要がある。

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