おカネの教室 僕らがおかしなクラブで学んだ秘密 しごとのわ
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要約
中学生の木戸隼人(サッチョウさん)は福島乙女(ビャッコさん)と、「ソロバン勘定クラブ」に入り、顧問の江守先生(カイシュウさん)からお金について学んでいく。
ビャッコさんは、町の何割かの土地を持ち地主として収入を得る祖母、貸金業やパチンコ屋を営む父親とともに暮らすお金持ちだったが、家族の商売について疑問を抱き、父に反感を覚えていた。
カイシュウさんは、お金を手に入れる方法を6つに分けて説明する。
・かせぐ
・ぬすむ
・もらう
・かりる
・ふやす
・つくる
上の3つは社会への貢献具合による分類だ。「かせぐ」のは社会に利益をもたらすような仕事で、「ぬすむ」のは社会に害悪を成すことで利益を得る仕事をいう。「もらう」はその中間で、全体としては「かせぐ」人に依存しつつ、自分の食い扶持を少し上回る位の利益は確保する。
社会への貢献具合と善悪は別に捉えていて、売春や軍人などは必要悪として許容する一方、市場の信頼を失墜させるような「銀行家」は利益を上げていても社会のダニだと断ずる。
また「かりる」ことは、合理的であれば社会を活性化させるし、お金を「ふやす」人も相応のリスクを負って社会を動かすことに貢献していると考える。
一方で苦境に陥り選択肢がない人に貸し付けるようなやり方は「ぬすむ」になると考えている。
「つくる」というのは信用創造のことで、信用のネットワークが重なることで実際の現金を超えるフローが作り出されることを言う。
お金の稼ぎ方を知り、お金の倫理観を身に付けたビャッコさんは、家族と対峙していく。
感想・考察
「大人が悪いと叫ばなかったのは偉い。我々はね、常に遅れてやってくるのですよ。生まれた時には出来上がった世界が回っている。誰もがそこに遅れて参加する」
社会というのは所与のもので、そこに文句をつけることはできない。
だが、その社会とどう関わりどう変えていくかは、自分で選択することができるし、次世代に対する責任であると言える。
父親の仕事を誇れない娘もいるだろうし、会社の仕事に納得がいかない新入社員もいるかもしれないが、まずは受け止めてから始めること、時には「清濁併せ呑む」図太さを持つことが必要だというのはその通りなのだろう。
著者は「神の見えざる手」を持ち出すような「古典的自由主義」の立場に近いようで、自由競争の中で経済が発展していくことを美徳と捉えている。
リーマンショックの際にサブプライムローンを切って混ぜて分からなくして売り捌いた「銀行家」は「市場への信頼を損なわせた」ということで嫌悪している。一方でギャンブル運営や売春などは「必要悪」として認めているのも「市場」重要視しているからだろう。
一方で、自由主義による競争が格差拡大を引き起こしていることは認識し、ピケティの理論なども簡潔に紹介し、相続やタックスヘイブンなど格差を拡大している要因を潰していく必要があるとも述べている。
中学生対象と考えると結構高度な内容も含んでいるが、読み物として面白く分かりやすかった。