考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門
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要約
いわゆる「哲学」の知識を理解することではなく、考えることを身をもって学ぶための「哲学対話」という手法を解説する本。
哲学対話とはどのようなものか
哲学対話とは哲学的な知識を学ぶことではなく、対話を通して自分自身で哲学的に考えることの実践である。
哲学対話では、「問い、考え、語る」ことを重視する。まずは「分からないことを増やして「問い」を見つけ、「考える」ことを開始し、それを明確にするため他者に「語る」。
また「身をもって体験する」ことを重視し「体で感じる哲学」だとしている。
哲学対話のルール
15人前後が適正人数。ワークショップなどでは5人前後が一般的だが、それよりやや多い。多様な視点がある方が枠組みを超えた考え方を見付けられる。属性の異なる人がいればさらに良い。
感覚的な部分も重要となるので、机は用いず、椅子を丸く並べて行うなど、物理的な排日にも気をつかう。椅子は間を空けずにおいた方が良い。
哲学対話におけるルールは以下の8つ。
①何を言ってもいい
学校でも社会でも「正しいとされていること」についての発言を求められ、自由に発言する機会はない。哲学対話では「何を言ってもいい」ことを強調する。
②人の言うことに否定的な態度をとらない
誰かに否定的な態度を取られると「何を言ってもいい」雰囲気が壊されてしまう。批判し意見をぶつけ合うディベートなどとは違い、相手の言うことをそのまま受け止めることが前提となる。
③発言しなくてもいい
強制的に話をさせられると無難で適当なことを言ってしまう。「話したくないなら黙っている自由」がなければ「話したいことを話す自由」もない。
「聞く」ことも対話には必要で、聞き手として話し手の言うことを黙って受け止める人も重要である。
④お互いに問いかける
日常生活で「問いかけ」は怒りを含むので、できるだけ質問しないようにするのが普通。「何でやらなかったのですか?」という問いかけは、やらなかったことを攻めるニュアンスを含む。
また「問う」ことは「分かっていないこと」の表明とも捉えられてしまうので、相手の意に添う「良い質問」以外はしにくいという状況もある。
哲学対話では、互いに怖れず問いを発し、問題をしっかり受け止め、一緒に考えることが大事だと考える。
⑤知識ではなく経験に則して話す
知識をもとに話すのであれば、専門家の話に素人は入り込めないし、大人と子供の会話でも「強弱」が明確になってしまう。
知識ではなく「自分の経験」をベースに話せば、立場の違う人通しでも対等に話すことができる。
⑥話がまとまらなくてもいい
「問い」には「答え」を求めがちだが、無理やり安直な結論をつけて思考を止めるのはもったいない。話をまとめる方向に持っていくために「言いたいこと」を抑えてしまうと、哲学対話の意義が失われてしまう。
結論を出す必要はなく、対話を通して考えること自体が目的であると考える。
⑦意見が変わってもいい
対話を進める中で違う視点を見つけ考えを変えるのは良いことだ。一貫性を大事にして「最初にこう言ったからその立場を貫く」必要はない。
聞き手も意見が変わることをネガティブに捉えないようにする。
⑧分からなくなってもいい
分かること、知っていることに価値を置くのではなく「哲学的に考える」こと自体が重要。分からなくなることは「問いが増える」ことであり、むしろ望ましい。
哲学対話の効用
哲学対話の存在意義は「自由のため」「責任のため」「自分のため」にある。
「自由のため」というのは、政治的な「思想の自由」でも、運命論に対する「自由意思」でもなく、「主観的に自由であると感じること」を意味する。
哲学的な考えを深めることで「物事から自分を切り離して考えること」ができるようになり「自由を体感できる」のだという。
また、私たちは「自分で考え決めたこと」についてだけ責任を取れる。自由を与えられず結果の責任だけを追わされるのではなく、自分で自由を行使して責任を取ることが「自分の人生を生きる」ことになる。
一般にいう「哲学」は、専門家が分かっていない人を啓蒙するという役割分担がある。だが哲学対話は「自分のため」にある。どんなに拙くても、自分でつまずいて自分で考えたことしか、その人のものにならない。
問うことと考えること
「問い」があってはじめて「考える」ことができる。
そして問いの質によって思考の質が決まる。漠然としたことしか考えられないのは、問いが漠然としているからだ。
まずは、問いの質を気にせず問うことから始め、問いを重ねていく。
基本的な問いの進め方としては
・言葉の意味を明確にする
・理由や根拠、目的を考える
・具体的に考える
・反対事例を考える
・関係を問う
・違いを問う
・要約する
・懐疑
などがあげられる。
また自分の立ち位置を相対化するために、
・時間軸
・空間軸
をずらしてみるのも効果的だ。
「小さな問いを大きな問いへ=具体的な問いを抽象的に」すること、また逆に「大きな問いを小さな問いへ=抽象的な問いを具体的に」することも、新たな視点を得る助けとなる。
考えることと語ること
考えていることは、声に出して語ることではじめて明確な形をとる。大切なのは「他者」に対して語ること。
「他人の意向に合わせて語る」のではなく「他者に対して語る」ことが大事。他者を意識しない言葉は自分の枠の中に留まってしまう。
子どもに語る場合、分かりやすい言葉を選ぶことで自分自身の根本的理解を深めることにもある。
語ることと聞くこと
語られた言葉は、聞かれることで受け止められ初めて意味を成す。
聞く立場では、否定的な態度を取らないことを前提に「受け入れる」のではなく「受け止める」ことが必要。
相手の話を理解しそれに反応しようとするのではない。物分かりが良さそうな人に限って、押しつけがましく、独りよがりなことはないだろうか。相手のことを考え、創造力をたくましくした結果、それが勝手な思い込みになっていないか。
その人のためにその場にいて、その人の存在をそのまま受け止めること、言い換えると「場を共有すること」が聞くことの本質だ。
哲学対話の実践
哲学対話の場所の設定や、人の集め方、司会進行の方法など具体的なアドバイスをしている。
感想・考察
所謂「哲学」についての本ではなく「考えること」についての本だ。
提唱されている「哲学対話」はワークショップ的で、実際に導入するのはややハードルが高いが、「考える方法」のアイデアは色々な場面で応用できそうだ。
言いたいことを言っているつもりで、「正しいとされていること」「相手が求めていると思われること」を話しているだけなのではないか。
「相手のことを理解しようとする、独りよがりになっている」のではないか。
痛いところを突かれた感じだ。
自由に「問い、考え、語り、聞く」ことは、思った以上に難しい。
もっと謙虚に、そして恐れずに、対話してくことが大事なのだろう。