どうしても生きてる
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あらすじ
日常の苦しさを徹底的なリアルさで描き切る 6つの短編集。
健やかな論理
夫と別れた佑季子は年下の彼氏と付き合い始める。
彼はテレビドラマを見て「宅配便の再配達を依頼していた人が、その後すぐに自殺するわけはない」という理論で自殺ではなく殺人であると考える。
佑季子の母は彼女が新しい彼氏と付き合い始めたことを知り「夫に捨てられた可哀そうな娘」というレッテルを剥がし、安心して姪っ子の話を始める。
佑季子は会社の同僚と昼食に行き、彼女が「喫煙所でタバコを吸っていただけで会社にクレームを入れてくる人がいる。きっと嫌なことがあってストレスのはけ口を探していたに違いない」という理屈を持ち出した。
テレビのニュースでは「連続通り魔の犯人宅から暴力表現の多い漫画が見つかった」と指摘する。
佑季子は、納得して安心するための「健やかな理論」に気持ち悪さを覚える。
事件報道と、その直前のSNSでのつぶやきなどを探し、その飛躍に安心感を覚える。
流転
豊川は大学時代に友人と漫画投稿を描き始めた。豊川がストーリーを考え、友人が漫画化するという分担だった。
新人賞を取りWEB媒体で連載するプロとなったが、大きなヒットとはならなかった。編集担当は友人の画力は賞賛したが、豊川のプロットにはダメ出しを続け、新しい作品を手がけることができなかった。
そんな時、友人だけが編集担当の紹介でイラストの仕事を受けていることを知り、二人は決別してしまう。
ちょうどその頃 豊川の恋人の妊娠が分かり、結婚して妻と子を支えるため、漫画から離れ、保険会社に入社することを決意した。
豊川は保険会社でセールスを続けながら、扱っている商品が顧客の利益にならないことを自覚していた。
同期入社の友人から、弱い立場の人を助けるために「外国人就労者向けの保険」を立ち上げ独立するプランを聞かされ、豊川も会社を辞め合流することに同意する。
ところが、同期の友人が会社に辞表を出した当日、上司が豊川を懐柔しにかかる。彼らの動きを察知していた会社は同様の保険を企画し、すでに顧客を確保しているという。
豊川は決断を迫られ動揺した。
豊川はライブハウスに向かい、彼が漫画を描き始めた20年前から変わらずに自分たちのスタイルを貫いているバンドの演奏を聞いていた。
かつて「妻と子のため」といって漫画を諦め、今日また「生活を守るため」といって自分の夢と友人を裏切ろうとしていることを思いながら。
七分二十四秒めへ
契約社員の矢沢依里子は、新人に業務を引き継ぎ退職することとなった。
依里子が新人と昼食を取っていると、新人は「無意味なことをして騒ぐYoutuber」を否定していた。彼女は「女性Youtuberは、料理とかメイクとか役に立つことを扱うのに、男性は無意味なことをしてはしゃぐのが多いから不快だ」と言う。
正社員と契約社員、男性と女性、結婚しないこと、社会保障制度の崩壊、介護問題、生き辛さばかりが積みあがっていくなか「無意味にはしゃぐ」ことが救いになることもあると、依里子は知る。
風が吹いたとて
由布子の夫は自動車企業の品質管理部門で働いていた。
彼はルールを守ることに厳格で、娘が禁止されているスマホを学校に持っていっただけでも厳しく咎めた。
由布子が働いているクリーニング屋でも、その競合店でも、誇大広告気味な宣伝がまかり通っていた。
定められた工程をきちんと守って作業している従業員は、他の人より作業が遅いことから叱責され追い詰められていた。
サッカーをしている由布子の息子も、審判の死角で相手チーム選手のユニフォームを引っ張るなど、お互いさまだが意図的なルール違反をしている。
小さなルール違反が大きな問題につながることもあるのかもしれない。
だが由布子にとって大事なのは、自分の周囲5mの世界を守ることだった。
そんなの痛いに決まってる
良大はEC企業で電子決済サービスの売込みをしていた。
大手の参入により、彼の会社はジリ貧となり上司の圧力に潰されそうになっていた。
良大の妻も別のEC企業で働いていたが、彼女の関わるプロジェクトが成功し急拡大していた。
いつの間にか、妻に収入での仕事の内容でも追い越されてしまった良大は、彼女との間に高い壁を感じるようになる。
良大は「絶対に自分を上回ることがない」と思える女性と出会い、密かに付き合い始めた。
その頃、前職で世話になった上司が退職したことを聞く。
その上司は、どれほど困難な状況でも「大丈夫」といい、事態を丸く収めていた。
今、良大は「大丈夫」と言いながら、かつての上司がどれほどの痛みを感じていたのかを知る。
籤
鍋倉みのりは劇場でホール長として働いていた。
みのりはアルバイトからの電話を受ける。
「休ませてほしい」という 1/2の確率を引き、休日出勤することになる。
みのりはその日、出産前検診の結果を受け取りに行っていた。
1/249 の確立を引き、胎児の染色体異常が見つかってしまう。
みのりが幼いころ、両親と双子の兄と行った神社でおみくじを引いた。
みのりは小吉を引いたが、凶を引いた兄に無理やり取り換えさせられてしまう。
みのりは兄と同じサッカークラブに入りたかった。
でも女子を受け入れないクラブには 1/2 の確率で入れなかった。
みのりの母は彼女が中学生の時に急逝してしまう。
父と兄と家事を分担するが、いつの間にかほぼすべてみのりの仕事になってしまう。そして油仕事で顔にやけど跡を残してしまう。
そして今日、休んだバイトの代わりに出勤した日、大震災に襲われる。
劇場スタッフとして顧客の安全を確保する役割を担うことになる。
みのりはその人生でずっと「ハズレくじ」を引いてきたのだろうか。
感想・考察
あまりにもリアルだ。
目を逸らそうとしている感覚を目の前に突き付けられ、正直重すぎる。
複雑であることを知りつつ「単純明快な因果関係」に安心したり、
自分の「逃げ」を外部環境のせいにしたり、
思考停止して無意味な気楽さに逃げたり、
自分と周囲を守るため大義を捨てたり、
痛みを感じないようにして「大丈夫」と言ったりしている。
それでも、どうしても生きる。
引いてきた「くじ」が「ハズレくじ」になる、全て諦めてしまった時だ。
いつか舞台が明転するときを待とう。