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チェ・ゲバラ伝

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要約

カストロとともにキューバ革命を成功に導いた チェ・ゲバラの伝記。

チェ・ゲバラの本名は エルネスト・ゲバラ。アルゼンチンで1928年に生まれた。
チェが喘息を患っていたため、ゲバラの一家はブエノスアイレスから田舎に転居した。それでも小学校にはあまり通えず母親から教育を受けた。13歳の頃、あいかわらず喘息の発作は続いていたが、学校の休み期間に各地を放浪することを好むようになる。
大学では医学を学びながら、チリやペルーを訪れ、一時期サンパウロのハンセン病病院で働いた。

1953年に博士号を得て大学を卒業したが、軍医として働くことをきらい、故国のアルゼンチンを離れ、友人が働くベネズエラののハンセン病病院に向かった。
途中から進路を変え、当時アメリカと対立していたグアテマラででアメリカの息がかかった反政府軍へ武力闘争を説いた。

その後メキシコに移り、本のセールスマンや医師として働くが、1955年にカストロに出会いキューバ革命の遠征軍に参加することを決意する。
翌1956年にはメキシコからキューバに向かい、反乱軍としてゲリラ戦を指導した。1959年には当時のバチスタ大統領が国外逃亡し、カストロが実権を握る。

1959年の半ばには、アジア・アフリカ諸国へ親善のため訪れる。日本も訪問し、通商協定のベースとな会談や、砂糖の輸出や工作機械の輸入などの交渉を行った。。

その後チェはキューバの内政整備のため尽力するが、アメリカの圧力もあり困難を極めていた。1962年のキューバ危機はキューバの頭越しでの、アメリカ-ソ連の対立であり、キューバ自体にできることはほぼ何もなかったという。

1965年にチェはキューバを離れ、アフリカでの反植民地闘争に関わっていく。
コンゴでの闘争はうまくいかず、1966年にキューバ経由でボリビアに向かい反政府革命を主導していった。

翌1967年にボリビアで、アメリカの支援を受けたボリビア政府軍に殺され、生涯を閉じる。

感想・考察

世界の歴史に革命家は何人かいる。
だが「生涯に渡って革命家であり続けた」のは、チェ・ゲバラくらいだろうと著者は言う。

キューバで革命を成功させ、権力の座に留まることもできたのに、次の革命を成功させるためアフリカやラテンアメリカ諸国に向かった彼の「行動」が、彼の信念を表しているのは間違いないだろう。

言葉では嘘をつけても行動で嘘は付けない。
彼が「革命で世界を変えよう」と考えていたことは間違いないのだろう。

ただ「武力闘争」にこだわるその手法には反感も覚える。
力による圧政に対しては、力で対抗するしかないのだろうか。

近代社会で革命やクーデターが起こるのは、大多数を占める「中の下以下」層の人間が経済的に困窮し為政者に対する不満を持っている状況で、「中の上」くらいの層がゲームチェンジを狙い、実際には軍部や外国が武力を行使するというパターンがほとんどだ。

現代では、上位数%が世界の富の過半を持つほど格差が拡大しているが、一方で最貧困層の人数は減っている。
地域にもよるだろうが、「中の上」層のルサンチマンは強まりつつ、その下の層では「武力闘争のリスクを払うよりは現状維持がマシ」と考える人が増えているのではないか。
富の集中自体は別に悪いことではなく「貧困をなくすこと」が世界を安定させるのかもしれない。

そういう「革命」を起こしてみたい。

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