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「読まなくてもいい本」の読書案内 ──知の最前線を5日間で探検する

「読まなくてもいい本」の読書案内 ──知の最前線を5日間で探検する

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要約

世界にはあまりにも多くの本がある。読むべき本を上げるのは難しい。
だが、20世紀半ば以降には「知のビックバン」ともいえる大きな変化が起きており、それ以前のパラダイムで書かれた本はざっくりいって読む必要がない。
本書ではその「知のビックバン」と、そこから生じた「知のパラダイムシフト」を、複雑系、進化論、ゲーム理論、脳科学、功利主義の観点から解説していく。

複雑系

ニュートンが体系立てた古典物理学では、原因と結果の「因果関係が明確」だった。ある条件を与えれば必ず決まった結果が返ってくる世界だ。

ところが量子力学の世界では「確率論的にしか予測できない」不確定な部分が必ず存在することが証明される。古典物理学は「特定のスケールではそう見える」という特殊ケースだと位置付けられた。

量子力学における確率的な予測は、正規分布によるベルカーブを前提としていたが、マンデルブロは、多くの現象はベルカーブではなく「べき分布によるロングテール」で分布していることを発見する。
例えば、単語出現頻度の分布をみると異なる言語であってもすべてべき分布になっていたし、綿花の価格推移も、べき分布に従っていた。

確率論的に語れる「ランダムネス」は正規分布で予測できるが、リアス式海岸のギザギザなどは確率で描写できず一見無秩序に見える。
だがマンデルブロはこういったバラバラさ「ラフネス」も無秩序ではないと考えた。
DNAがたった4種類の記号から複雑な構造を作り出すように、初期の単純な条件から生み出された組織を、次のレイヤーの組織化に再利用する「自己組織化」が行われている。
それは最初の組織がレベルを変えて何度も現れる「フラクタル」であり、要素が相互に影響する「複雑系」を構築し、正規分布ではなく、べき分布に従った構造になる。

確率論的しか予測できない量子力学の世界は、統計的にしか予測できない複雑系の世界の特殊ケースだといえる。

進化論

ダーウィンが提唱した「遺伝的変異と自然選択で生物が多様化する」という進化論は、科学や社会学にも大きな影響を与えた。

現代でも、知性あるモノが生命を設計したとする「インテリジェント・デザイン」を信じる人が多く、進化論が通説だとは言えない状況だ。
だが著者は「生命の歴史の長さを感覚的に理解できないこと、人間の世代交代が特異的に長いこと、人間が進化の一本道の頂点にあると考えること」から生まれた誤解だとして「進化論は正しい」という前提で議論を進める。

オスは無性生殖、メスは有性生殖という半倍数性のハチの研究で「自分自身やその子どもではなく、血縁度の高い個体を増やすことを目的としている」ことが発見される。
そこから「生物は遺伝子が機械的に自分の複製を増やすための乗り物だ」とする理論が提唱された。これに対しては「人間の尊厳を毀損する」と考えた人たちから強い反発が続いている。

さらに、進化論を心理学に取り入れた「進化心理学」では「心や感情も、身体と同じように進化によって生まれた」と考え、進化をベースに心の反応を分析説明した。

ゲーム理論

ゲーム理論においては、すべての参加者がベストの選択をした場合に落ち着く「ナッシュ均衡」と呼ばれる均衡点がある。

だが現実の世界では、参加者間に情報の非対称性があるし、また参加者が常に合理的な行動をするとは限らず、常に理論通りの結果とはならない。

しかし、その非合理さにも進化で説明できる一貫した傾向がある。例えば「得するより損を避ける」傾向は「損=死」だった時代からのプログラムで、「表面的な情報で判断してしまう」のは「判断の省力化とスピード」が最大の生存戦略だったからだ。

「行動ゲーム理論」では、非合理さが一貫しているのであれば、繰り返し学習することでナッシュ均衡に近づいていくのだと考えた。
テニスのサーブの左右打ち分けは完全ランダムが理論上の均衡点だが、初心者ほど左右に偏り、上級者ほどランダムに近づく。学習により均衡点に近づく一例だ。ただし、全員が均衡点を目指すわけではないし、完全な均衡点に辿り着く人もいない。

マクロ経済学は「合理的経済人」を前提としたシミュレーションだが、人は非合理であることから「傾向の把握」としても正しくないとする。
ただ非合理さにも傾向があるのであれば、直接の因果関係は説明できなくても「統計的には正しい」という解決を得ることはできる。

ゲーム理論も統計学も完璧ではないが、コンピュータやAIの発展により大きく進歩し、知のパラダイム転換を起こしている。

脳科学

デカルトの時代から主観と客観の対立「心身二元論」は論じられてきたが、哲学は結論を出せずにいた。
フランシス・クリックは「あなたの感情や記憶、自由意思などは、ニューロンネットワークの電気信号に過ぎない」とし、意識の問題を哲学から奪い取った。

進化論が主観的な心の動きを説明することもある。
例えば下図のような3匹のパックマンの間に三角形が見出すことを哲学的に説明するのは困難だ。

だが進化論的には、岩陰に入り見えなくなった獲物を「消えた」と考えるのではなく「見えないだけでそこにいる」と脳内で補うのが有効な戦略だったから、と説明することができる。

また脳科学の進歩は人間の自由意思も否定した。
人が行動しようと意識する 0.35秒前に脳は身体を動かす信号を発している。
また左右どちらのボタンを押すかは、意識が決定する7秒前には脳が決めている。「意志」は脳の活動の結果であって原因ではない。

だが脳の活動は100兆もあるシナプスの相互活動による複雑系で、因果関係を追うことは原理的に不可能だ。
瞬間的な判断は無意識に決めていて自由意思はないと言えるが、原理的に行動を予測できないという意味において、私たちは「自由」だと言える。
脳の複雑系もデタラメなランダムではなく、自己組織化するネットワークなので傾向性はある。その傾向性が「人格」となるのだろう。

功利主義

世の中のリソースが限られている以上、トレードオフが生じる。
トレードオフによる摩擦を回避する方法としては「パイを大きくする」「分配方法を考える」「ゲーム理論によるルール作りをする」ことが考えられる。

分配の方法には「正義」が関わってくる。
自由に競争すべきだという「自由主義-リバタリアニズム」、結果としての平等を重んじる「平等主義-リベラリズム」、歴史や伝統を重んじる「共同体主義-コミュニタリアリズム」に分かれ、これら3つの主義は進化論的な基盤を持つ。
また上記それぞれに重なるように、効用を最大化すべきだとする「功利主義」も存在する。

ルール作りについては、ゲームの設計をデザインすることで社会を変えることが可能だと考える。
例えば臓器提供を申告制にしている国と、提供することをデフォルトにしている国では、臓器提供合意者の比率に大きな差が生じている。
人の背中を押す「ナッジ」は協力だが、その分価値観を押し付けるパターナリズムに陥らないよう注意して使う必要がある。

現代ではテクノロジーの進歩と共生する「新しい哲学」が求められている。

感想・考察

本書の結論は、
遺伝学、脳科学、進化論、行動ゲーム理論、行動経済学、統計学、ビッグデータ、複雑系などの新しい”知”は、進化論を土台としてひとつに融合し、ニューロンから意識(こころ)、個人から社会・経済へと至るすべての領域で巨大な「知のパラダイム転換」を引き起こしている。
これによって自然科学と人文科学は統合され、旧来の経済学、哲学、心理学、社会学、政治学、法学などは10年もすればまったく別のものになっているだろう。心理学が進化心理学へと脱皮したように、進化経済学、進化社会学、進化政治学、進化法学が登場し、最後に「進化」の冠が取れて血の統合が完成するのだ。残念ながらそこに旧来の哲学の場所はないだろう

の部分に集約されている。

従来の哲学や心理学で説明できなかったことが、進化論をベースに説明できるようになり、因果関係の見えない複雑系の世界を、情報技術の進展による統計の進歩が解明しつつある。
この大きなパラダイム転換以前の知識は陳腐化して歴史研究以上の価値はない、ということだ。

これが「読まなくてよい本のガイド」になっているかどうかは分からないが、個別のトピックスについての解説が十分に面白かった。

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