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残酷な進化論 なぜ私たちは「不完全」なのか

残酷な進化論 なぜ私たちは「不完全」なのか

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要約

人は進化の頂点ではない、最終形態でもない。
ある部分では人より進化した特質をもつ生物もいるし、その特質が生存に有利かどうかは環境次第。
ある意味残酷な「進化論」の視点から人間存在を問う。

  • なぜ私たちは生きているのか

非生物である「台風」を例に、生命とは何かを考える。

台風は海水から熱エネルギーを吸収して育つが、北上して海水温が低い場所に言ったり、陸地に上がったりするとエネルギーが尽き消えてしまう。
また条件によっては台風は分裂することもある。

もし台風が消えにくい気候条件の星があった場合、分裂した台風は消えずに増え続ける。とはいえエネルギーは有限なので無限に増えることはできず、エネルギーの奪い合いになれば、回転速度や中心気圧などが最適な台風が残っていくだろう。またその星自体の気候条件が変わった場合、その新しい環境に適した台風が増えていくだろう。

台風のように周囲からエネルギーを吸収して一定の形を作っている構造を「散逸構造」と呼ぶ。そして「自己複製する散逸構造」を生命と定義する考え方もある。

台風のような「自己複製する散逸構造」自体は頻繁に生まれる。
その中で「たまたま長く消えない自己複製する散逸構造」が、地球上で生命になった。

そう考えると「生きる構造になった結果、生命が生まれた」のであって「生きる」こと自体が生命の意味だと言える。
「生きるために作られたのが生物」だと著者は考える。

  • 心臓病になるように進化した

人間の心臓は無理な構造をしている。

四足歩行をする生物などと比べ、直立する人間は頭から足までの高低差が大きく、高い圧力をかけないと血液を循環させることはできない。

一方、陸上生活する生物は、肺が繊細な構造になる。
肺では、呼気と血液が気体-液体間で酸素・二酸化炭素を交換するが、浸透圧で通過可能な薄い膜になっているため、ここに圧力がかかりすぎると壊れてしまう。

そのため人間緒の心臓は、身体に循環させるために高圧をかける部分と、肺に低圧で血液を送る部分に分かれている。
高圧をかける部分は分厚い構造になるため内部の血液からエネルギーを取り込むことはできず、心臓の周りの冠状動脈から取り込むことになる。

心臓が激しく動くときは、心臓がもっともエネルギーを必要としているときだが、心臓の動きによって冠状動脈は押しつぶされ血流が不足してしまう。
ここで心臓に酸素不足が生じると心筋梗塞を起こす。

心筋梗塞は糖尿病などの成人病がリスク要因だと言われているが、5300年前の人間のミイラからも動脈硬化による心筋梗塞の形跡が見れており、人間の心臓には構造的な欠陥があるのだといえる。

  • 鳥類や恐竜の肺には敵わない

金魚や鯉など一部の魚類は肺を持つ。
エラ呼吸で酸素を取り入れることはできるが、心臓の直後にエラがあるため、心臓に循環してくる血液は酸素が薄くなっている。
また、水中では空気中と比べて酸素濃度のムラが大きい。酸素濃度が低い部分を通り過ぎることにもリスクがある。
そのため、補助的に肺を持つことは水中で暮らす魚にとっても、生存競争上有利に働いたと考えられる。

人間など哺乳類の肺は「吸う」と「吐く」を一つの気管で行うが、鳥類や恐竜は「気嚢」という器官を持ち、空気の流れが一方通行になっている。
哺乳類の肺では、吐いた息の一部を再度吸ってしまうが、鳥類や恐竜の肺は一方通行でより効率よく呼吸することができる。

哺乳類と恐竜はほぼ同じ時期に生まれたが、圧倒的な長期間にわたって繁栄していたのが恐竜だったのは、呼吸性能の違いが一因だった可能性もある。

  • 腎臓・尿と「存在の偉大な連鎖」

「糖、タンパク質、脂質」からエネルギーを取り出すと、水、二酸化炭素と窒素が生まれる。窒素を含む最も単純な化合物はアンモニアだが、毒性が強い。

アンモニアは水に溶けやすいので、豊富に水を使える魚類などはアンモニアのまま体外に捨てている。

だが陸上生活では水を豊富に使うことはできず、両生類や哺乳類ではアンモニアを毒性の低い尿素にしてから捨てている。

さらに爬虫類や鳥類は、さらに毒性の低い尿酸に変えて捨てている。尿酸はほとんど水に溶けず少量の水に混ぜてどろりとした状態で排出している。

窒素排出の機能だけを切り取ると
①魚類など: アンモニアのまま排出-水中でのみ生存可能
②哺乳類など:尿素にして排出-陸上でもOKだが、大量の水が必要
③鳥類など:尿酸にして排出-陸上でOK、水も少量ですむ
となり、哺乳類よりも鳥類などの方が高性能だといえる。

呼吸でも窒素排出を見ても「人間が最も進化しているわけではないし、もっとも高性能なわけでもない」ということが分かる。

  • 今も胃腸は進化している

哺乳類は生まれた直後は母乳で育つため、乳糖を分解する酵素ラクターゼを持つが、成長すると母乳を取らなくなるためラクターゼは不要になる。

使わない酵素を作るのはエネルギーの無駄遣いであるため、大人になるとラクターゼを失う方が生存競争で有利だった。

ところが人類が酪農を始め、成人も牛や羊などの乳を飲むようになると、乳糖を分解できることが有利な要素となり、多くの地域でラクターゼを持つ成人が増加してきた。
人類が酪農を始めてからせいぜい1万年程度で、これほど大きな変化が起こるのは、進化のタイムスケールからみると速すぎるように感じられる。

だが、有利な状況に向かって変化していく「方向性選択」のは比較的速く進み、平均から外れたものが排除されていく「安定化選択」は時間がかかるという傾向がある。

  • 人の目はどれくらい「設計ミス」か

半分できた目は役に立たない。
目はレンズや網膜、視神経、脳など多くの器官の複雑な連携によってはじめて機能する。例えば、進化の途中でたまたま網膜だけができても視神経がなければ役に立たず、生存競争上有利にならたないため、それが次世代で優勢にはならない。

これが、生命の進化には何者かの知性が関与しているとする「インテリジェントデザイン」の論拠の一つとなっている。

だが実際には、明暗が分かるだけの視細胞を持つ生物がいてこれは生存競争上有利だといえる。また視細胞が立体的に配置されて光の方向を知ることができる生物もいし、一点の穴を通して光を受けピンホール効果でモノの形を理解できる視細胞を持つ生物もいる。
これらは途中の段階でもそれぞれで有利な要素があるため、進化が働いたと考えることもできる。

実際に、化石などから目の機能が進化したことは確認できないが、インテリジェントデザインを持ち出さなくても説明可能な道筋はあり得ると著者は考えている。

  • 腰痛は人類の宿命だけれど

脊椎には様々な機能がある。

最初は、カルシウムの貯蔵庫として使われた。
それが脊髄を保護することにも有利に働いた。
また、蠕動運動する際に固定部分があった方が効率的だった。
さらに地上に出た生物は、姿勢を維持することにも利用した。

人間は、脊椎の不自然な使い方をしているから「腰痛」という苦しみが生まれているという言い方をされることもあるが、出来上がった器官を環境に合わせて利用していくのが普通。

  • 人はチンパンジーより「原始的」か

チンパンジーの手は親指が小さく、それ以外の指が長い。
木の枝を掴むのには有利だが、細かいものを掴むのは苦手だ。
人間の手は道具を使いこなせるよう進化してきたのだと考えるかもしれない。

だが、人間の手がチンパンジーのような形状から進化したわけではない。
人類とチンパンジーの共通祖先の手はヒト型の手をしていた可能性が高い。共通祖先からそれぞれ独自な進化をしてきているのだと言える。

ここでも人間が進化の最終系ではないことが分かる。

  • 自然淘汰と直立二足歩行

二足歩行は手を使って食料を運んだりするのに有利だった。

だが中途半端な二足歩行は、肉食獣から逃げるのにも獲物を追いかけるのにも不利だ。だが四足歩行の動物が、いきなり完璧な二足歩行へ進化したとは考えにくい。

おそらく、木の枝を折らずに移動するために、木の枝を二足歩行しながら、余った手で他の枝につかまり体重を分散させるのが有利だったのだと思われ、木の上で二足歩行の下地が作られたのだと思われる。

  • 人類が難産になった理由とは

直立歩行のためには骨盤は大きすぎない方が効率がいい。

300万年ほど前に生きていたアウストラロピテクス・アファレンシスは現生人類とお歩同じ歩き方をしていた。骨盤は上下に短く、左右に張り出していて現生人類より歩く機能は優秀だったと思われる。

その後、頭が大きくなってきたため、小さな骨盤では出産が難しくなり、大きな骨盤を持つように進化してきた。

生物は一つの器官を様々な目的に利用し、トレードオフが生じる。機能の一面だけを捉えると「退化」にみえても、全体のバランスという意味ではより有利になっていることもある。

  • 生存競争か絶滅か

人間は哺乳類の中で走るのが速い方ではない。だが、体毛が薄く汗をかいて冷却できるので、持久力の面では哺乳類の中でトップクラスだ。

走るために必要な筋肉をつけるのには、遺伝的要因だけでなく各個体が運動するかどうかも関わってくる。
遺伝的に筋肉がつきやすくても、身体を動かさない性向であれば生存競争上有利にならない。

進化では「生存教祖の結果有利なものが残る」受動的なだけのものではなく、行動が方向性を決めていく主体的な部分もあるといえる。

  • 一夫一妻制は絶対ではない

多夫多妻的な群れを作るチンパンジーは主に草食であるのに牙を持っている。これは主にオス同士がメスの取り合いで争うことに使われている。
一方、人間は牙が退化しており長期に渡って一夫一妻的な状況であったことが推察される。

これには「直立二足歩行により手で食べ物を持ち運べる」という点が影響している可能性がある。
手ができたことで、その場で食べるのではなく群れのメスや子どもに餌を持ち帰るようになる。自分が持ち帰った食料は群れ全体の生存率を高めるが、多夫多妻的社会であれば自分自身の遺伝子生き残りには有利に働かない。
結果的に一夫一妻制的な性向が伝わりやすかったのかもしれない。

また、人間は構造的に難産で出産時に他の人の助けが必要。また生まれた後も育てるのに手間がかかる。
社会的なつながりが不可欠で、より強固な関係を維持できる一夫一妻制が有利だった可能性もある。

現実の人間社会では様々な婚姻形態があるが、進化の面から見ると一夫一妻制に向かう傾向があるように思われる。

  • なぜ私たちは死ぬのか

「より環境にあった個体が生き残る」ことで自然淘汰が進んでいく。
裏返すと「環境にあっていない個体が死ぬ」ことがなければ、自然淘汰は進まない。

地球の生命が40億年に渡って生き続けてきたのは「死」が進化システムの一部として組み込まれていたからだといえる。

感想

中途半端な目は役に立たない。
でも複雑な構造の目が突然できたとは思えない。
やっぱり「設計者」がいるんじゃね?
という「インテリジェントデザイン」に説得力を感じていた。

「光を感じる視細胞単独でも意味がある」など中間形態があり得ることも知っていたが、やはり完成した目の唐突感は否めない。

だが本書で
・一つの器官は複数の機能で活用される。
・ある器官のさまざまな機能はトレードオフの関係を持ちながら、全体のバランスを変化させていく。
という説明を聞き、やっと納得がいった感じだ。

例えば、脊椎は最初から直立歩行する人間の姿勢維持のためできたわけではない。
神経伝達などで重要なカルシウムの保存庫として使われ、それが脊髄保護の役に立つようになり、蠕動運動の固定軸として使われたりしながら、脊椎動物においては姿勢維持にも使われるようになった。

もう一つの例を挙げると、肺は最初から独立した呼吸器官だったわけではない。
食物から栄養を吸収する腸が一緒に微量の酸素を取り込んでいた。
これが有利に働くため腸の一部が空気を含むように膨らみ始め、やがて呼吸のための器官として独立していった。

機能を分割して考えれば、途中ステップにも意味があることが理解できる。
「進化論」を肯定する一つの論拠として非常に面白かった。

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