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ヨーロッパ近代史

ヨーロッパ近代史

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要約

15世紀ルネサンスから20世紀初頭の第一次世界大戦まで、ヨーロッパの近代を8人の人物の視点から描く。
近代ヨーロッパが世界を変えることができたのはなぜか、宗教・科学の観点から分析している。

  • ルネサンスの誕生

15世紀以前の中世ヨーロッパは「神の時代」だったといえる。政治経済を始め学問や芸術もキリスト教に統一された世界だった。
ルネサンス時代のヨーロッパでも、中国、インド、ペルシアやオスマン帝国などに国力は及ばなかった。

当時の芸術は「神の栄光をたたえるため」のもので、個人は前面に出ず、作品に署名をすることもなかった。
ところが、イスラム世界との貿易で富を築いたイタリア商人たちは、当方に残っていた「人間の素晴らしさ」を強調するギリシア文化を逆輸入していった。

レオナルド・ダ・ヴィンチはイタリアのフィレンツェに生まれる。

レオナルドは教会ではなく、メディチ家などのパトロンを得て活動する。芸術だけでなく、軍事技術での発明も多く、軍事顧問として活躍の場を広げていった。晩年には遅れを取り戻そうとするフランスに招かれ、その地で亡くなっている。

ルネサンスは芸術や科学を「神のためのもの」から「人間のもの」に変え、それをヨーロッパ中に拡散していった。

  • 宗教改革の衝撃

中世ではローマ教皇の権力は絶大だった。また政治的な支配階級も、土地と結びついた封建制をベースに固定されていた。

だが、ルネサンス以降、近世に入ると商人たちが力を付けはじめ、婚姻戦略で権勢を広げたハプスブルク家がヨーロッパ各地で権勢を得る。
新たに力を付けた彼らと旧支配層との軋轢が生じ始めていた。

15世紀末にドイツで生まれた マルティン・ルターは、敬虔なキリスト教徒であったが、聖書に書かれていない「贖宥状」の有効性に疑問を覚え教会に質問した。これが教会批判と受け取られ、ルターはローマ教皇庁から破門されたが、ザクセン公などの助けを得て活動を継続する。
当時実用化され始めた活版印刷のおかげでルターの書籍はベストセラーとなる。さらに学術用語であるラテン語版しかなかった聖書を生活言語のドイツ語に訳し販売することで、聖書を聖職者の占有物から大衆の書物に変えていった。

その後、ルターを中心とする改革派プロテスタントと、ローマ教皇を頂点とするカトリックは、長らくヨーロッパでの戦禍の種となる。

ルターの宗教改革が成功したのは、変化し始めた封建制の微妙なパワーバランスという政治的要素と、活版印刷という科学技術的要素がタイミングよく重なったことが要因なのだろう。

  • 近代科学の誕生

宗教改革に端を発し、16世紀半ばから17世紀にかけてヨーロッパ中に宗教戦争が頻発していた。

この時期、イタリアのトスカーナ地方で ガリレオ・ガリレイが生まれる。

当時の「科学」は神学・哲学の下に置かれ、神学の解釈と矛盾する理論を公言することはできなかった。
コロンブス以前のヨーロッパ人でも「地球は平面で太陽などがその周りを回っている」と本気で信じていた人はそれほどいなかった。だが、コペルニクスやガリレオのように自説を発表することには大きなリスクが伴った。

ガリレオは理解ある領主に助けられたが、それでも教会勢力の圧力を受け、自説を曲げざるを得ない状況に追い込まれる。
だが「自然という書物は数学の言葉で書かれている」と述べたガリレオは、キリスト教における人格神とは違う神の姿を示した。

  • 市民革命の先駆け

17世紀のヨーロッパでは絶対王政が確立された。

長く続いた宗教戦争は、中世には安定していた封建領主のパワーバランスを変え、相対的に教会の力も低下させた。

新たに力を持った王侯たちは重商主義を置き、商人たちの力も取り込んでいく。経済戦争は、やがて植民地を巡る軍事戦争にまで発展していった。

17世紀の半ば、ジョン・ロックはイングランド南西部のサマセットに生まれる。

当時のイングランドでは、新興地主階級や商人などが行政に参画するようになっていたが、王であるチャールズ1世は議会を停止し独裁的な体制を敷いた。
これに反発した議会は王を追放し処刑する。
その後、クロムウェルらは勤勉で禁欲的な生き方を強い、イングランド全体が沈滞してしまう。17世紀後半には王政復古で再び王を置くようになった。

こうした政治闘争の中にいたジョン・ロックは「絶対君主」の強権に反発すると同時に、「宗教的寛容」が大事だという考えに至った。

ロックは比較的締め付けの弱かったオランダで書物を著し、思想を広げていった。

  • 啓蒙主義の時代

17世紀後半からヨーロッパ諸国での王位継承戦争が頻発する。

宗教戦争により宗派の異なる家系同士の婚姻は皆無となり、ハプスブルグ家とブルボン家が諸国の王侯の地位を独占するようになる。近親婚が増え優秀な継承者が生まれにくくなり、王位継承に関するトラブルから争いが頻発していた。
一国が圧倒的な力を持つのではなく、格好が相互牽制する形での安定を図る「勢力均衡」という考え方が実践されていった。

この時期、ヴォルテールはパリに生まれた。
当時フランスで一大事業とされていた「百科全書」編纂に協力した。ヴォルテールがロックから学んだ経験論哲学を紹介し「人間は自らの理性に基づいて行動すべきだ」という思想を広めた。

知識人にとって「世論を喚起し社会に訴えかける」が責務であると考え、啓蒙活動に取り組むが、社会の不条理に対する啓蒙は支配者層からの弾圧を受けた。
「あなたの意見には反対だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という言葉を残している。

  • 革命の時代

18世紀半ば以降、アメリカ独立戦争やフランス革命などの市民革命が起きる。

これまで、旧来の封建領主である貴族や聖職者が支配階層となっていて、庄野民や新興の商工業階級(ブルジョワジー)は国税の大部分を負担していても政治的発言力は皆無だった。
ブルジョワジーが力を付け、ロックたちの思想の景況を受けた平民たちは、革命に立ち上がった。

フランスでは18世紀末に起きた革命により、絶対君主を中心とした貴族・聖職者が政治経済を支配する体制は崩壊した。一時期ナポレオンにより帝政が復活したが、それも再び市民革命で倒される。

18世紀後半、現ドイツのフランクフルトで ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは生まれた。

ゲーテは「若きウェルテルの悩み」がベストセラーとなり「理性より感情の優越」を主張するロマン主義を牽引していった。
ゲーテ自身が当時の皇帝から叙勲され貴族に列せられたこともあり、彼自身の政治思想は保守的であった。

フランス革命により中産階級が政治に口出しし始めたことを嫌悪し、その温床となる「言論の自由」に真っ向から反対した。彼の理想は「善き王政と貴族政治」であった。
だが、ヨーロッパの趨勢はゲーテの理想とは反対方向に動いていった。

  • 人類は進化する

19世紀の後半は自由主義を重んじるイギリスが調整役となりヨーロッパ内が安定した「パックス・ブリタニカ」の時期だった。一方でイギリスを始め各国は海外植民地を拡大し、帝国主義の時代に突入していった。

19世紀初めイングランドのシュールズベリでチャールズ・ダーウィンは生まれた。

ダーウィンは、突然変異と自然淘汰による「進化論」を唱えた。
進化論は生物学以外の分野にも波及し、例えば国家にも発展段階があり、「先進国」には、遅れた発展段階にある「発展途上国」を引き上げる責務があるとして、帝国主義的植民地支配を補強することにもなった。

  • ヨーロッパ時代の終焉

20世紀初頭になるとヨーロッパの安定が崩れ、帝国主義による植民地戦争とも重なって「第一次世界大戦」に突入していく。

19世紀末のロシア南部アストラハンに、ウラジーミル・レーニンが生まれる。

この時期のロシアは急速に工業化が進み人口も増えていたが、国富の大半が新興のブルジョワジーや高級官吏ら上流階級に独占され、大半を占める労働者や小作農は生活に苦しんでいた。
ここから社会主義の思想が広まり始めていく。

もともとレーニンは上流階級の生まれだったが、兄が皇帝暗殺に関わったため、大学から追い出されてしまう。やがてマルクス主義に惹かれていく。
その後、第一次世界大戦が始まりロシアも戦局に巻き込まれる。

近世まで戦争は、貴族や傭兵だけのもぽのだったが、第一次世界大戦の頃からは国民皆兵の総力戦となり、前線に駆り出された大衆の不満が募っていった。
この不満がロシア帝政を倒し、のちに共産主義国家に繋がった。

政治経済や科学を支配するのが「神から個人へ」へと移行していった「近代ヨーロッパ」はここで終焉する。
大量消費社会は「個人」を消費者もしくは労働者と捉え、経済状況が苦しくなったいくつかの国では「全体主義」が生まれ、次のステージへと進んでいった。

感想

中世ヨーロッパは、キリスト教によって安定していた。
社会派固定的で、政治経済も科学も、キリスト教との整合が求められたため、新しいものを生み出すことはなかった。

ここにギリシア時代の「人間賛歌」が逆輸入されることで、徐々に変化を許容する社会が出来上がり、科学も政治経済も「進化」していった。

そこに暮らす人々の視点で「世界が良くなっている」のだろうか。
10までしか知らないから10で満足する「吾唯 足るを知る」という考え方をする人は、主観的には幸せなのかもしれない。だが100を知ってしまった人からは「かわいそう」にみえるかもしれない。

キリスト教にしろ仏教にしろ、リソースが限られた世界で多くの人を納得させる必要があった。だから勤勉に働き、倹約節制し、与えられたもので満足することを美徳とする。
それで人が幸せなら、それが正解でいいのかもしれない。

一方近代以降の西欧文化は、個人の可能性を讃え、だれもが今日よりも良い明日を目指すことができるし、そうすべきだと考える。
目標を立て実現していく達成感に幸せを感じる人もいるだろう。その人が幸せなら、それでもいいのかもしれない。

世界は、一つの方向に向かって一直線に進歩するだけではないのだと思う。
それぞれの人がそれぞれ幸せでいられるよう、多様性が認められる世界に「進歩」していけばいいなと思う。

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