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カラマゾフの兄弟

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あらすじ

19世紀後半のロシア、地主として成り上がったフョードル・パーヴロヴィッチ・カラマゾフには3人の息子がいた。

長男のドミトリイはプライドが高いが奔放な性格で父親と衝突している。。
次男のイワンは大学に通うインテリで、合理主義の無神論者。
三男のアレクセイは修道院に身を寄せる敬虔なキリスト教徒だった。
また、三人の他にフョードルに認知されていない非嫡出子のスメルジャコフも、カラマゾフ家の使用人に育てられ、コックとして働いていた。

長男のドミトリイにはカテリーナという婚約者がいたが、グルーシェンカという女性に惚れ込んでしまう。父親のフョードルもグルーシェンカに求婚し、父子で一人の女性を取り合っていた。ドミトリイとフョードルは遺産相続でも揉めていて、久しぶりに家族が集まった席では大喧嘩になってしまった。

次男のイワンはカテリーナに好意を寄せるが、カテリーナは未だドミトリイを愛している。ドミトリイの起こした暴行事件を表沙汰にしないよう見舞金を払ったりしていた。

三男のアレクセイは父と兄二人の間を取り持とうと奔走するが、修道院の長老ゾシマの容体が悪化し気を揉むことになる。
そんな中イワンは「大審問官」という劇詩をアレクセイに聞かせる。「神学的に解釈すればキリストさえも異端者である」という主旨で、アレクセイはイワンの精神を心配しつつ、自らの信仰を試されることにもなる。

その直後、ゾシマ長老が亡くなる。
ゾシマの残した手記では、彼の兄が信仰を得ていった様子を描きながら、神による赦しを説いていた。

ドミトリイはグルーシェンカに求婚するため、婚約者であるカテリーナからの借金を返す必要があった。
父フョードルから金を奪うことを考えたが実行はせず、だが現場から逃走するときに使用人のグレゴリイに重傷を負わせてしまった。

その後、ドミトリイがグルーシェンカの元に向かう。大量の酒を買い込んで騒いでいるところに警察が乗り込み、フョードルの殺人容疑で彼を拘束した。

ドミトリイはグレゴリーへの暴行を認めたが、フョードルの殺人は否認する。
しかし裁判では、ドミトリイの有罪が確定してしまった。

ネタバレ考察

ミステリとして読んでも、ロシアの歴史と重ね合わせて読んでみても、恋愛小説としても、宗教と魂の話として読んでも楽しめる。
もう少し短ければ本当に面白い作品だったと思う。

いくつかの側面から考察してみたい。
140年前の作品に対して今更だが、一応ネタバレ注意。

  • ミステリとしての考察

単純に読むと犯行を自白し自殺したスメルジャコフが犯人のようだが、いくつか疑問点が残る。
実際には、後編が書かれる予定だったということで、どんでん返しがあったのかもしれない。とりあえずある部分だけで考察してみたい。


動機
ドミトリイ
  女性関係でも遺産相続でも対立し明確な動機がある。

イワン
 遺産分与のため、父の再婚を阻止することにメリットはあった。

アレクセイ
 直接の動機は示されていない。

スメルジャコフ
 直接の動機は見えない。出生絡み恨んでいた可能性はある。 


・アリバイ
ドミトリイ
  本人視点の描写なので、叙述トリックでもない限り犯行は不可能。

イワン
 当日に家を離れていた。ただ、本来遠くモスクワまで行く予定だったのが、スメルジャコフの進言を受け比較的近い場所にとどまっていた。距離感は分からないが往復可能だった可能性もある。

アレクセイ
 事件当時の所在は不明。

スメルジャコフ
 事件時刻にはてんかん発作のため床に臥せていたことが、グレゴリイに確認されている。ただし「てんかん発作のフリ」だった可能性が指摘されている。


・犯行可能性
ドミトリイ
 事件発生時には現場にいて、ドアを開ける合図も知っていたが、本人の記憶混濁など叙述トリックでない限り成立しない。

イワン
 事件時刻に現場に帰ってこれた可能性は低いがゼロではない。ドアを開ける合図は知っていた。

アレクセイ
 事件時刻に現場にいることは可能だった。ドアを開ける合図を知っていたかどうかは不明。

スメルジャコフ
 ドアを開ける合図は把握していた。事件時刻にてんかん発作を起こしていたのは「フリ」の可能性はある。

これらの状況を見ると、スメルジャコフの犯行である可能性は十分あるが、イワンとアレクセイも不可能だったとは言いきれない。

またスメルジャコフの犯行だと考えた場合、いくつかの矛盾点がある。

最大の矛盾は「ドア」の状態だ。

グレゴリイが部屋を出るとき、ベッドにスメルジャコフがいるのを確認している。その直後に母屋を見た時ドアは開いていた
一方、ドミトリイの証言を信じると、彼が母屋を離れたときには「ドアは閉じていた
両方の証言を信じるとすると、ドミトリイが母屋を離れた後、グレゴリイが確認するまでの間に「何者かがドアを開けた」はずだが、スメルジャコフにその時間的余裕はなかったはずだ。少なくともスメルジャコフの単独犯ではありえない。

もう一つは細かい話だが、スメルジャコフはその自白の中で「後頭部を殴打した」と言っているが、フョードルは仰向けに倒れ死んでいた。
これは倒れ方にもよるし決定的とはいえないが、若干引っかかる。

そう考えると、可能性のある解釈は解釈は


やはり後編で「解決編」をやって欲しかった。未完で終わったことが悔やまれる。

  • 当時のロシア情勢のメタファーとしての解釈

フョードルは農奴制に根ざしたロシア帝政下で封建領主として成り上がった。
「誰がフョードルを殺したのか」というミステリは「誰がロシア帝政を殺すのか」という予言書であるとみることもできそうだ。

それぞれの登場人物が象徴している政治的立場は以下のようなものだろう。

・フョードル
農奴制をベースにした封建領主。名誉を重んじ宗教的権威は軽視する。
その立場通り、農奴制をベースとした封建的体制を象徴しているといえる。

・ドミトリイ
フョードルの正統後継。同じ価値観を持っているからこそ反目し合う。
もし、フョードルを殺したのがドミトリイだとすると「政治体制は保持されたまま世代交代される」という見方になる。

・イワン
合理主義を取る知識階級。無神論の立場に立つ。
フョードルを殺したのがイワンだとすれば、知識を重視する商工業によるブルジョワジーが主導権を握るということだろう。

・アレクセイ
ロシア正教に根ざした道徳主義を象徴している。
フョードルを殺したのがアレクセイならば面白い。
宗教的権威もしくは道徳が農奴制を排除するという考えになるのだろう。
更に面白いのは「社会主義」を標榜する少年コーリャが、アレクセイに心酔していることだ。コーリャ自身はまだ幼く農奴制を殺す力はないが、向こう見ずな行動力を秘めている。そして彼を動かすドライバは宗教的道徳心だというのだ。面白い。
オブラートに包んだような表現になっているのは、社会主義への傾倒から死刑判決を受けたこともあるドストエフスキーの保身であり反骨精神であるのかもしれない。

・スメルジャコフ
 自らをイワン(知識階級)の影という。実利主義的な庶民になるだろう。
実際の歴史で農奴制を倒し、帝政を崩壊させたのは、商工業による資本主義が発展させた庶民だったことを思うと、やはりスメルジャコフの犯行と考えるのが妥当なのだろうか。

  • 宗教と魂の解放の物語として

「キリスト教徒魂の救い」というのも大きなテーマになっているのだが、キリスト教的素養が薄い現代日本人にとって、19世紀ロシアの人間の肌感覚というのは正直分かりにくい。
「大審問官」と「ゾシマ長老の手記」の対置は面白いと感じたが、何回か読み直してきっちり理解したいと思う。

いろいろな読み方ができるし、それぞれが深い。
ページ数と登場人物が十分の一くらいだったら、今日でも通用する作品だったと思うと残念だ。

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