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テミスの剣

正しさとは「貫く」のではなく「追い続ける」もの『テミスの剣』

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主人公の渡瀬より高円寺静判事がかっこいい。
真実を貫く人ではなく、真実を追い求める人。


本作は「冤罪」がテーマになっている。
「死刑」をテーマにした『ネメシスの使者』と対をなす作品だ。

被疑者の自供にせよ、物的証拠にせよ、犯人を確定させることにインセンティブを持つ警察が捜査権を有している以上、どれだけ完璧な仕組みを作っても、危うさは残る。

本書では、冤罪を生む危険なポイントが2つ上げられたいた。

ひとつめの危険ポイントは「真実を貫く」ことの危うさだ。
鳴海刑事のように「自分の行動は正しい」と信じ切ってしまうと、他の解釈が見えなくなる。

すべて目の前にあるものは「真実」ではなく、自分が解釈した「現象」に過ぎない。
「こいつは殺人犯」だという刑事の目でみれば「会社での評判が悪い」という話が、被疑者の「クズな人間性」に結びつくが、「絶対に犯人じゃない」という親の目でみれば「優しさゆえにコミュニケーションに苦慮していた」と映る。


もうひとつの危険性は「組織の理論」の恐ろしさだ。
「正しくない」と認識していることでも、「自分の責任じゃない」と思えばできてしまう。

「冤罪を握りつぶすのは正しくない。でも自分は上司の命令を実行し、組織の総意を代行しているだけ」と思えば、堂島刑事のように、客観的にみれば悪辣で卑しい行動も取れてしまうものなのだ。


だから冤罪は起きるし、隠される。

この2つの危険性への答えとなるのが、高円寺判事の生き方なのだと思う。

彼女は、決断の責任を100%自分自身で受け止めている。だからこそ徹底的に慎重で、自分の判断を常に疑っている。

私の目からみて、数多い中山作品群の中でも、彼女は最高のキャラクタだ。
高円寺静とその孫が主人公になっている作品もあるようなので、読んでみることにしよう!

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あらすじ

物語は二十数年前の事件から始まる。
中山七里さんの作品によく登場する渡瀬刑事の若き日の話だ。

不動産屋の主人と妻が刺殺された。渡瀬は先輩刑事の鳴海と組んで捜査を進める。

被害者は違法な高利貸しを行なっていたことが判明し、金を借りていた楠木を容疑者として拘束した。鳴海と渡瀬の熾烈な取り調べを受け楠木は犯行を供述したが、公判では一転して犯行を否定した。

だが一審では死刑判決となる。二審の高円寺裁判長は楠木の無罪の訴えを聞き、直感的に危うさを感じたが、物証も揃っていることから結局は一審判決を支持。上告も棄却され楠木の死刑は確定。その後、彼は拘置所内で自殺してしまった。


事件から数年後、渡瀬は別の殺人事件で迫水を逮捕する。数年前の事件の手口と酷似していることに気づいた渡瀬は迫水を追及し、彼は過去の事件も自分の犯行であると認めた。

ここで楠木の冤罪が明らかになる。

渡瀬は、すでに本人も死亡している件で、あえて冤罪を公表することを戸惑い、警察組織も彼を押し止めた。

だが、尊敬する検事の恩田や判決を下した高円寺に背中を押され、渡瀬は冤罪の事実を公にする。マスコミはこれを大きく報じ、警察や検察の組織内にも粛清の嵐が吹き荒れた。

さらに二十数年が過ぎ、迫水が出所した日、新たな事件が起きる。

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